1. 25年続いた「10本の青いリンク」への反逆
2023年晩秋、シリコンバレーの中心地パロアルト。中国最大の検索エンジンである百度(Baidu)でグループ副総裁を務め、スマートスピーカー「小度(Xiaodu)」を立ち上げてハードウェア事業を牽引してきた景鯤(Eric Jing)氏は、長年の盟友であり小度の最高技術責任者(CTO)を務めていた朱凱華(Kay Zhu)氏とともに、ある静かな決意を固めていました。
二人が手放したのは、中国IT業界の頂点における盤石な地位と莫大な報酬でした。景鯤氏はかつて米マイクロソフトの検索部門でアジアの技術開発を率い、AIチャットボット「りんな」の原型となった「小冰(XiaoIce)」の立ち上げにも関わった検索のベテランです。一方の朱凱華氏も米グーグル本社でコア検索アルゴリズムの開発に携わった経歴を持ち、両者ともに「インターネット検索の進化と限界」を骨の髄まで知り尽くしていました。
彼らが共有していたのは、1998年にグーグルが発明して以来、四半世紀にわたって変わっていない検索エンジンの根本的な不条理に対する危機感でした。
「ユーザーがキーワードを入力すると、アルゴリズムが10本の青いハイパーリンクを並べる。ユーザーはそのリンクを1つずつクリックし、広告やSEOスパムで埋め尽くされたWebページを行き来しながら、必要な情報を自らの手で拾い集めてまとめなければならない。この体験は、大規模言語モデル(LLM)が登場した現代において完全に壊れている」
キーワードを入力させ、Webサイトのインデックスを提示するだけの受動的な検索は終わった。AIが自律的に複数のWebサイトを横断調査し、情報を批判的に検証し、その場でユーザー専用の構造化されたまとめページを組み立てるべきではないか――。
二人が設立した新会社「MainFunc(メインファンク)」が送り出したプロダクト「Genspark(ジェンスパーク)」は、まさにこの第一性原理から出発しました。
検索の目的はリンクをクリックすることではない。答えを手に入れ、次の意思決定を下すことだ。青いリンクの時代は終わった。
創業からわずか1年余りで、Gensparkは累計数億ドルの資金調達を実施し、企業評価額は12.5億ドル(約1,500億円)、さらには16億ドルへと急拡大しました。ユニコーンへと駆け上がった原動力は、OpenAIやPerplexityとは明確に異なるプロダクトの設計思想にありました。
2. 検索から生成へ:複数エージェントが織りなす「Sparkpage」
AI検索のパイオニアとして先行したPerplexityは、検索窓に入力された質問に対して、対話形式で2〜3段落の簡潔な回答文と引用元の注釈を素早く返すスタイルで支持を広げました。
しかし、景鯤氏と朱凱華氏はこのアプローチにも疑問を抱いていました。日常の雑学や簡単な事実確認であれば短いチャット回答で十分ですが、ビジネスパーソンが何時間もかけて行う「市場調査」「競合製品の比較」「旅行日程の策定」「技術選定」といった複雑なタスクでは、チャットボットの短いテキストでは情報量が圧倒的に不足するからです。
そこでGensparkが編み出した核心機能が「Sparkpage(スパークページ)」でした。
ユーザーが例えば「日本市場におけるSaaS型ERPの主要ベンダー比較と導入リスク」と入力すると、Gensparkは単一の言語モデルで文章を生成するのではなく、複数の自律型AIエージェントを同時に走らせます。
- リサーチエージェント:数十のWebサイトや公式ドキュメント、業界レポートを巡回し、最新の価格表や導入実績を収集。
- ファクトチェックエージェント:古い情報や矛盾する記述、アフィリエイト目的の偏ったレビューを相互検証して排除。
- 構成エージェント:収集したデータを機能比較表、メリット・デメリット、推奨導入ステップへと体系化。
- デザインエージェント:グラフやカード型の視覚的レイアウトを動的に構築し、完全なWebページとして出力。
わずか数十秒の間に、まるで専門のリサーチャーとWebデザイナーが数時間かけて作り上げたような、インタラクティブで編集可能な専用ページが目の前に現れます。
・キーワードに合致する「青いリンク」を10本提示するのみ
・SEOスパムやアフィリエイト記事にユーザーが振り回される
・複数サイトを行き来し、自力でExcelやメモ帳にまとめる労力
・検索結果をクリックさせることで広告枠を閲覧させるビジネスモデル
・複数エージェントがリアルタイムにWebを横断調査して統合
・ファクトチェック機構が偏向情報やスパムを自動でフィルタリング
・表組みやグラフを含む完全なまとめページ(Sparkpage)を直接出力
・検索から資料作成、ドキュメント編集までが一気通貫で完結
この「リンクを探す作業」そのものを完全に消滅させ、成果物を直接届ける体験は、特に大量の情報処理に追われるホワイトカラー層の間で口コミによって急速に拡散していきました。

3. なぜ日本企業が殺到したのか:電通、アスクル、世田谷区の現場感
Gensparkの成長軌道において、世界中のアナリストを驚かせた最大の特異点は「日本市場への異常な適合」でした。
2026年時点で、Gensparkの法人導入企業数は世界で5,000社を突破していますが、その半数以上を日本企業が占めています。シリコンバレー発のAIスタートアップでありながら、主要顧客の過半が日本に集中するという現象は極めて異例です。
導入企業リストには、広告大手の電通やADK、オフィス用品最大手のアスクル、阪急阪神不動産、船井総合研究所、ベルシステム24、KDDIグループ、パナソニック コネクト、豊田通商といった日本を代表する企業が名を連ねています。さらに2026年3月には、東京都世田谷区が国内の自治体として初めてGensparkの公式導入を決定しました。

なぜ日本のビジネス現場は、ChatGPTやCopilotではなくGensparkを選んだのでしょうか。背景には、日本の知的労働文化とGensparkの機能特性との奇跡的な合致があります。
欧米のビジネスカルチャーでは、チャットツールでの短文のやり取りや口頭での意思疎通が重視される傾向があります。一方で日本の企業社会では、企画書、稟議書、競合比較表、役員説明用スライドといった「網羅的で論理的な文書(ドキュメント)」を整えるプロセスに膨大な時間が費やされます。
「ChatGPTに尋ねても、きれいな箇条書きが返ってくるだけで、それをPowerPointや社内報のフォーマットに手作業で移し替える作業が残る。だがGensparkなら、最初から背景、市場規模、主要競合、リスク要因が構造化されたWebページやスライドとして出力されるため、手戻りがほとんどない」
電通の導入チームでは、利用開始から2ヶ月で社員1人あたり週平均6時間超、月間25時間の業務工数削減が実証されました。年間換算で約40営業日分に相当する時間が創出された計算です。
MoA(Mixture-of-Agents)
オーケストレーション
70以上のモデルからタスクに最適なAIを動的に切り替え配分
調査結果を即座にプレゼン資料やスプレッドシートへ自動変換
PC上のローカルファイルやOfficeアプリをAIが代行操作
過去のメールや会議ログをクラウド上で永続記憶し文脈を共有
日本語への自然なローカライズ、日経新聞での全面広告展開、そして松坂桃李氏を起用した全国テレビCMなど、日本市場に対して資本を集中投下したマーケティング戦略も功を奏し、日本のビジネスパーソンにとっての「仕事のインフラ」としての第一想起(マインドシェア)を急速に獲得したのです。
4. トークン浪費と粗利の侵食:美しきユニコーンの裏の出血
しかし、テクノロジーメディアとしての冷徹な視点を向ければ、Gensparkの華々しい成長の足元には、極めて深刻な構造的ジレンマが横たわっています。
その最大のアキレス腱は、「1回の検索にかかる天文学的な推論コスト」です。
グーグルの従来の検索であれば、1回のクエリにかかるインフラ費用は1セントの数分の一(約0.001ドル以下)です。Perplexityのような比較的シンプルなRAG検索であっても、数千トークンの入出力で収まるため、コストは0.005〜0.01ドル程度に抑えられます。
ところがGensparkのSparkpageは、複数のAIエージェントがWebを何十回も往復しながら長文を読み込み、ファクトチェックを重ね、デザインコードまで生成します。1回の高度な検索リサーチを実行するだけで、Claude 3.5 SonnetやGPT-4oといった最上位モデルのトークンが3万〜8万トークンも消費されるのです。
1回の検索にかかる原価は、容易に0.05ドル〜0.20ドル(約8円〜30円)に達します。
| 比較項目 | Google 検索 | Perplexity AI | Genspark(Sparkpage) |
|---|---|---|---|
| 検索パラダイム | 受動的なインデックス提示 | 対話型テキスト要約 | 複数エージェントによる成果物生成 |
| 1回あたりのトークン消費 | 0(検索アルゴリズムのみ) | 1,000 〜 3,000 トークン | 30,000 〜 80,000 トークン |
| 1クエリの推定インフラ原価 | 約 0.0005 ドル | 約 0.008 ドル | 約 0.08 〜 0.20 ドル |
| 主な収益源 | 検索連動型広告(巨額利益) | 有料サブスクリプション / 広告実験 | 有料サブスクリプション / 法人契約 |
| 粗利益率(Gross Margin) | 55% 〜 60%(極めて高収益) | 30% 〜 40%(推論コスト負担) | 10% 〜 25%(重度利用で赤字化の恐れ) |
月額19.99ドルの定額サブスクリプションモデルにおいて、熱心なパワーユーザーが毎日何十回もSparkpageを生成したりスライドを出力したりすれば、そのユーザーから得られる月額料金は瞬く間にモデル提供元(OpenAIやAnthropic)へのAPI支払いで蒸発し、粗利益は容易にマイナスへ転落します。
中国の有力テックメディア『36氪』やシリコンバレーの投資家コミュニティでも、Gensparkの「利益なき繁忙」に対する懸念は繰り返し指摘されてきました。
このコスト出血を止めるため、Gensparkは裏側で複雑な技術的防衛策を講じざるを得なくなっています。単純な事実確認にはコストの低い軽量オープンソースモデルを割り当て、最終的な推敲やレイアウト構築の段階だけ最上位モデルを呼び出すという「インテリジェント・ルーティング」の導入です。さらに、無料ユーザーに対する利用制限の厳格化や、ヘビーユース機能に対するクレジット課金制の導入など、ユーザー体験との間で絶え間ない妥協を強いられています。
5. 地政学の綱渡りと「AIワークスペース」への退避
Gensparkが直面するもう一つの見えない暗雲は、米中対立という地政学的リスクと、プラットフォーム大手からの挟み撃ちです。
MainFuncはシリコンバレーのパロアルトに本社を構え、シンガポールに拠点を置き、OpenAIやAnthropic、マイクロソフトとの親密な連携を前面に打ち出すことで、徹底して「米国発のグローバルAIスタートアップ」としての装いを維持しています。
しかし創業者の景鯤氏と朱凱華氏をはじめとする中核エンジニアの多くは、百度で長年検索とハードウェアを手がけてきた中国系エンジニアです。36氪の深層レポートが喝破したように、同社はシリコンバレーの表舞台では西側の最先端モデルの採用を誇る一方で、舞台裏では中国発の高性能オープンソースモデルや低コストな開発リソースを巧みに組み合わせることで、凄まじい推論コストの圧迫を回避してきました。米中のAI規制や地政学的な監視の目が厳しさを増す中、この「二重のアイデンティティ」は常に薄氷を踏む綱渡りでもあります。
さらに外側からは、巨大テック企業による猛烈な包囲網が迫っています。
グーグルは自社の検索エンジンに「AI Overviews」を世界規模で標準搭載し、数十億人のユーザーに対して無料でAI回答を提供し始めました。OpenAIもChatGPTに直接「ChatGPT Search」を組み込み、独立した検索アプリを開く必要性を奪いにかかっています。先行するPerplexityもソフトバンクなどから巨額の出資を受け、メディア各社への収益還元プログラムを構築して著作権紛争の防波堤を築いています。
検索単体の市場で、資金力で桁違いのグーグルやOpenAIと真っ向から殴り合えば、消耗戦に巻き込まれて手元資金が枯渇することは火を見るより明らかです。
だからこそGensparkは、自らを「AI検索エンジン」と呼ぶことをやめ、「AIワークスペース」へと急速に看板を架け替えました。
検索にとどまらず、スライド生成、表計算処理、ドキュメント執筆、デスクトップ上のPC操作を代行する「Genspark Claw」、さらには社員同士とAIエージェントが協業するチャット空間「GenTeam」へと、製品の重心をエンタープライズ向けの総合業務プラットフォームへと大きくシフトさせたのです。
元百度副総裁の景鯤氏と元小度CTOの朱凱華氏がパロアルトで設立。「10本の青いリンク」の解体を掲げる。
AIエージェント検索「Genspark」とSparkpage機能を世界初公開。評価額2.6億ドルで世界の注目を集める。
「AIワークスペース 2.0」を発表。電通、アスクルなどの大手企業に加え、世田谷区が国内自治体として初導入。
PC操作を代行する「Genspark Claw」を実装。評価額12.5億ドルを突破し、専用カード録音機「SecondBrain Note」を発表。
このハードウェアへの拡張こそ、景鯤氏の原点回帰と言えます。2026年7月に発表された「SecondBrain Note」は、わずか26g・薄さ2.95mmのカード型ボイスレコーダーです。

PCの画面上だけでは把握できない「対面会議での雑談」「電話での口頭指示」「思いつきの独り言」を物理デバイスで常時集約し、社内のメールや資料データと紐付けてAIの長期記憶(SecondBrain)に蓄積する。かつて小度で何千万台ものスマートスピーカーを家庭に送り込んだ景鯤氏のハードウェアの勘所が、企業向けSaaSの解約を防ぐ強力な物理的アンカーとして再登板した瞬間でした。
6. 知的生産の終焉か、エージェントの共生か
Gensparkが提示した地殻変動は、単に「便利なリサーチツールが1つ増えた」という次元の話ではありません。それは、過去四半世紀にわたってインターネットの経済圏を支えてきた「コンテンツ提供者と検索エンジンとの間の暗黙の社会契約」の崩壊を意味しています。
従来のWeb経済は、質の高い記事やデータを公開したメディアに対して、グーグルが検索順位を通じてトラフィックを還流させ、メディアは広告や課金で収益を得るという共生関係の上に成り立っていました。
しかしGensparkのエージェントは、Webページから情報のエッセンスだけを吸い上げ、ユーザーに元サイトを踏ませることなく、完結したSparkpageを提供してしまいます。ユーザーの生産性が飛躍的に向上する一方で、一次情報の発信者には1クリックのトラフィックも、1円の広告収益も落ちません。世界中のメディアやパブリッシャーがAI検索企業に対して著作権侵害の訴訟を相次いで起こしている背景には、自らの生存基盤を食い破られるという切実な危機感があります。
先行するPerplexityが大手メディアと巨額のレベニューシェア契約を結んで法的リスクをヘッジしようと試みる中、Gensparkがこの「オープンWebのフリーライド批判」に対してどのような恒久的な答えを用意できるのかは、依然として不透明なままです。
また、電通やアスクルのような先鋭的な導入企業が直面しているのは、「AIが作った美しい資料を、別の人間がAIを使って要約して読む」という、知的労働の空洞化に対する新たな哲学的な問いでもあります。
誰もがワンクリックで数十枚のプレゼン資料や網羅的な調査レポートを量産できるようになったとき、ビジネスにおける本当の付加価値はどこに残るのか。
「青いリンク」を葬り去り、創業わずか1年半で1500億円のユニコーンへと駆け上がった景鯤氏の冒険は、AIエージェントが人間の知的生産を代替する最前線であると同時に、モデル推論コストという物理的制約と、Webコンテンツのエコシステムそのものを揺るがす壮大な実験の渦中にあります。
なお、同領域における産業構造の転換については、本誌が先に検証した「TikTok禁止の防波堤」Lemon8、日米で広がる検索侵食および元KimiリードのRaft解剖:人間とAIが同僚となる自律基盤の分析もあわせて参照されたい。
参考資料・情報元
- [一次情報] 36氪(36Kr / 硅星人Pro):深度:外宾Genspark与AI Agent的生存逻辑
- [一次情報] Business Insider Japan:電通やアスクルも導入。元百度幹部が率いるAIエージェント「Genspark」が日本企業で急増する理由
- [一次情報] PR TIMES:Genspark株式会社 プレスリリース一覧・日本市場向け展開及び導入事例
- [一次情報] Impress Watch:自律型AIエージェントプラットフォーム「Genspark」のアーキテクチャと機能進化
- [一次情報] MainFunc Inc. Official Website & Brand Guidelines
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