1. 真冬の洗面所、冷たい汚水で雑巾を絞る手——「ロボットの召使い」だった人間の悲哀
凍てつく真冬の夜、仕事を終えて重い足取りで帰宅したリビング。部屋の明かりをつけた瞬間、キッチン前のフローリングに跳ねた油染みや、スリッパの裏に吸い付くようなかすかなベタつきに気づいたときの憂鬱さは、誰もが一度は覚えたことのある感覚ではないでしょうか。
数年前まで、どれほど高価なロボット掃除機を導入しても、この憂鬱が消えることはありませんでした。
当時のロボット掃除機は、米iRobot(アイロボット)のルンバに代表される「ゴミやホコリを吸い込むだけの円盤」でした。しかし、素足で暮らすアジアの住環境において、埃を吸い取っただけの床は決して「綺麗」とは言えません。子どもが食べこぼした果汁、料理中の油煙、足裏の皮脂。これらを拭い去るには、結局人間が膝をついて冷たい雑巾を握り、体重をかけて床をゴシゴシと擦るしかありませんでした。
人間が「召使い」になる体験
- 乾式吸引のみ:吸引後に人間が膝をついて雑巾がけ
- 水拭きシート型:部屋中の油汚れを薄く引き延ばし、冷たい汚水まみれの布を手洗いする「召使い状態」
「床掃除の存在を忘れる」心理的解放
- 自律加圧回転水拭き:12Nの加圧と毎分180回転で汚れを剥離
- 全自動ステーション:自動給水・モップ洗浄・温風乾燥・ゴミ圧縮で人間の介入をゼロへ
その不満に応えるべく、各社が後付けで投入した初期の「水拭き兼用ロボット」は、さらに残酷な後味をユーザーに残しました。本体の底面に薄いモップ布をマジックテープで貼り付け、濡らした布で床を撫で回すだけの構造だったからです。
その結果、何が起きたか。リビングの醤油汚れを拭き取ったモップは、そのまま洗われることなく寝室まで走り、汚れと雑菌を家全体に薄く塗り広げました。そして掃除が終わるたび、ユーザーは本体を裏返し、泥水と毛髪でぬめったモップを素手で剥がし、洗面所で水道水を流しながら指先を凍らせてゴシゴシと手洗いしなければならなかったのです。
「掃除を自動化するために高いお金を払ったはずなのに、なぜ私はロボットが汚した雑巾を毎日洗う召使いになっているのだろうか」
この強烈な矛盾と徒労感こそが、家庭掃除の歴史において長年放置されてきた、最も深いペインポイントでした。
2. 「なぜ誰もモップを洗う機械を作らないのか」——松山湖(XbotPark)の3年間と張峻彬の偏執病
この理不尽な風景に強烈な違和感を抱いたのが、雲鯨智能(Narwal)の創業者、張峻彬(ジャン・ジュンビン)でした。
1990年に広東省で生まれた張峻彬は、幼少期から機械工作に没頭し、全国青少年科学技術イノベーション大会で数々の賞を総なめにしてきた生粋のロボットエンジニアです。香港科技大学大学院へ進んだ彼は、同大学教授であり、ドローン世界最大手DJI(大疆創新)の創業者・汪滔(フランク・ワン)の師としても名高い李沢湘(リー・ザーシャン)教授の門を叩きました。
李教授が東莞・松山湖に構えるハードウェア・インキュベーター「松山湖国際ロボット産業基地(XbotPark)」は、起業家に「単なる論文や模倣品ではなく、世界の人々の暮らしを根本から変えるプロダクトを作れ」と徹底して叩き込む場所です。
XbotPark(松山湖ロボット産業基地)のイノベーション系譜
李沢湘教授門下2016年、張峻彬が家庭用ロボットの領域で起業を志したとき、業界はすでに大手家電メーカーや新興スタートアップで埋め尽くされていました。北京では百度出身の昌敬率いる石頭科技(Roborock)が小米(シャオミ)エコシステムに乗って高精度レーザーSLAMを量産化し、蘇州では清華大学出身の兪浩率いる追覓科技(Dreame)が高速デジタルモーターでダイソン包囲網を築きつつありました。
投資家や周囲のエンジニアは、張峻彬にこう助言しました。「既存の公模(オープンな金型シャーシ)にLDSレーザーレーダーを載せ、吸引力を2,000Paに引き上げて1,000元台で売れば、すぐに数万台は捌ける」。
しかし、張峻彬はその提案を即座に退けました。
「他社と同じようなゴミ吸い取り機を少し安く作ったところで、世界に何の意味があるのか。ユーザーが真に苦しんでいるのはゴミの吸引ではない。床を水拭きし、その汚れたモップを自分の手で洗わなければならないという苦痛だ。誰もモップを自動で洗う機構を作らないなら、僕たちが最初のゼロから作る」
それは、茨の道への宣誓でした。
自律走行する小型ロボットの中に、水タンク、加圧機構、汚水回収ポンプ、そして本体へ自動給水しモップを物理洗浄するベースステーションを統合する——。当時の業界の常識から見れば、水漏れリスク、配管の目詰まり、菌の繁殖、悪臭など、解決不能と思われる課題が山積する無謀な挑戦でした。
| 比較項目 | 従来型ロボット掃除機(〜2018) | 雲鯨智能 Narwal J1(2019突破口) |
|---|---|---|
| 清掃の主目的 | 乾いたチリ・ホコリの吸引 | 頑固な皮脂汚れ・油膜の加圧拭き取り |
| 水拭きの方式 | 静止モップを引きずる(摩擦力不足) | 毎分180回転×12N下向き加圧モップ |
| モップのお手入れ | 人間が手作業で取り外して水洗い | ステーション内で自動洗浄・自動水切り |
| ユーザーの関与 | 毎回、汚れた雑巾を手で絞る苦役 | 数日に一度、給水・排水タンクを扱うのみ |
| 生活の変化 | 「掃除後に雑巾を洗う手間」が発生 | 「床掃除の存在そのものを忘れる」体験 |
資金が底をつきかけ、社員が次々と去る中でも、張峻彬は松山湖の実験室に泊まり込み、20種類以上のモップ素材と30通り以上の洗浄リブ形状をテストし続けました。3年間、売上は一円も立たず、破棄されたプロトタイプは数百台に達しました。
そして2019年秋、満を持して世に放たれた初代モデル「Narwal J1(雲鯨小白鯨)」は、中国のクラウドファンディングおよびSNS上で猛烈な旋風を巻き起こしました。発売と同時に予約が殺到し、数分で数億円規模の売上を記録。「手洗いのいらない水拭きロボット」というまったく新しい市場カテゴリーが、この瞬間に誕生したのです。
3. 素足で歩く心地よさの工学——床のぬくもりを取り戻す「Dirtsense」と加圧モッピング
雲鯨のプロダクトが人々に与えた衝撃は、単なる「全自動」という利便性にとどまりませんでした。それは、生活空間における「素足の心地よさ」の復権という、極めて身体的かつ情緒的な体験の革新でした。
床の上を裸足で歩いたとき、足裏に伝わる微細なざらつきや、湿気の多い日に感じるべたつきは、無意識のうちに人間の神経を苛立たせます。逆に、寸分の曇りもなく磨き上げられたフローリングを素足で踏みしめたときの、滑らかでさらりとした涼やかな感触は、住まう人に深い安心感と幸福感をもたらします。

雲鯨のエンジニアリングは、すべてこの「足裏のさらさら感」を再現するために捧げられています。
12Nの加圧と三角モップの重なり
一般的な水拭きロボットが自重(せいぜい2〜3N程度)で布を床に接触させているのに対し、雲鯨は内部スプリングとモーターの連動により、下方向へ12N(約1.2kg重)の圧力を均一にかけ続けます。これは、大人が両手で雑巾を床に押し付けながら拭く力加減に匹敵します。
さらに、2枚のモップは円形ではなく「角丸の三角形(ルーローの三角形に似た形状)」を採用。毎分180回転で高速旋回しながらわずかに重なり合って回転するため、中央に拭き残しの隙間が一切生じません。キッチンの頑固な油染みや、乾いてこびりついたコーヒーの跡も、数回の往復で完全に削ぎ落とされます。
汚れの度合いを自ら嗅ぎ分ける「DirtSense(汚れ検知技術)」
さらに利用者を驚かせたのは、2世代目の「Freo(フレオ)」シリーズから搭載された知的アルゴリズム「DirtSense」の振る舞いでした。
従来のロボット掃除機は、部屋の面積を計算し、あらかじめ決められたルートを1往復したら「清掃完了」として充電器に戻っていました。床がどれほど汚れていようと、ロボットには関係がなかったのです。
しかし雲鯨は、モップを洗浄した際に出る「排水の濁度(光の透過率と浮遊粒子量)」をステーション内の光学センサーでリアルタイムに測定します。もし排水が濃く濁っていれば、「このエリアの床はまだ汚れている」とロボット自らが判断。モップを入念に二度洗いした上で、汚れていたリビングの特定のスポットへ自動で引き返し、水が澄み切るまで何度でも清掃を繰り返します。
「人間が『もう一回拭いて』と指示しなくても、綺麗になるまで勝手に粘り強く掃除してくれる」
この健気とも言える振る舞いは、機械に対する「道具」という認識を、「信頼できる同居人」という感情へと昇華させたのです。
4. 「毛髪をハサミで切る夜」の終わり——細部に宿る共感と絡まりゼロの革命
水拭きの手洗いを自動化した雲鯨が、次に対峙した家庭掃除の「裏切られた体験」——それが、回転ブラシに巻き付く毛髪との戦いでした。
犬や猫などペットを飼っている家庭、あるいはロングヘアの家族がいる家庭において、ロボット掃除機のメンテナンスはまさに悪夢でした。数週間も使えば、メインブラシの両端に人間の髪の毛やペットの毛が硬く締め付けられるように絡みつき、ブラシが回転を停止してエラーアラートが鳴り響きます。
ユーザーはゴム手袋をはめ、ハサミやカッターナイフを持ち出し、ホコリにまみれたブラシの隙間に刃先を突っ込んで、毛の束を少しずつ切り刻まなければなりませんでした。切れた毛くずが部屋に飛び散り、指先には埃の臭いが残る。このメンテナンスの苦痛のせいで、せっかく購入した高機能ロボットをクローゼットの奥底に封印してしまった家庭は少なくありません。

2024年に投入された「Freo X Ultra」において、雲鯨が発表した「絡まりゼロフローティングブラシ(Zero-Tangling Floating Brush)」は、この長年の難問に対する鮮やかな幾何学的回答でした。
従来のブラシは両端が軸受で固定されているため、巻き付いた毛髪の逃げ場がありませんでした。雲鯨のエンジニアは、航空力学のスクリュー構造から着想を得て、ブラシの片側だけを支持する「片持ち梁構造」を開発。さらにブラシ自体の太さを左右非対称な円錐台状(コーン形状)に傾斜させ、50度の角度をつけた螺旋状のゴムブレードと植毛を配置しました。
両端固定軸ブラシの構造的限界
- 毛髪の絡まり:両端が軸受で固定されているため逃げ場がなく、毛が硬く締め付けられる
- 悪夢のメンテナンス:エラー停止するたびにハサミやカッターで埃にまみれながら毛を切り刻む苦痛
絡まりゼロ片持ち円錐台ブラシ
- 片持ち梁+円錐傾斜:太い駆動側から細い開放端へ、50度螺旋フィンと遠心力で毛髪を自動誘導
- 絡まり率0%:開放端に達した毛髪がそのまま8,200Paの気流で吸引され、手入れが一切不要に
ブラシが回転すると、絡みつこうとした毛髪は螺旋フィンの誘導と遠心力によって、太い側から細い開放端へと自然に滑り落ちていきます。そして先端に達した毛髪は、一切絡まることなく、8,200Paの強力な気流によって一瞬でダストバッグへと吸い込まれます。
国際的な認証機関であるドイツ・テュフ・ラインランド(TÜV Rheinland)およびSGSの厳格な検証テストにおいて、このブラシは「毛髪絡まり率0%」という驚異的な数値を記録しました。
ハサミを取り出して埃と格闘する夜は、この構造改革によって完全に過去のものとなったのです。
5. 道具から「同居人」へ——素足文化の日本と欧米ペット世帯をつなぐ情緒的価値
ハードウェアのスペック競争が激化する中国市場において、なぜ雲鯨は独自のブランドポジションを確立し、日本や欧米市場でも熱狂的なファン層を広げることができたのでしょうか。
その答えは、彼らが追求し続けた「生活空間の美学」と「情緒的ノイズの徹底排除」にあります。
中国スマート掃除ロボット4大巨頭の製品哲学
ポジショニングの差異化多くのロボット掃除機ステーションは、黒やダークグレーを基調とした無骨で巨大なプラスチックの塊であり、リビングに置くと異様な圧迫感を放ちます。また、ゴミ収集時に「グオーッ」とジェット機のような爆音(80dB以上)を響かせる集塵タワーは、小さな子どもを怯えさせ、ペットをパニックに陥れていました。
雲鯨はこの「威圧感」を家庭から追放しました。
ステーションの筐体には、角をすべて削ぎ落とした滑らかなオーガニック曲面を採用し、陶器のように温かみのあるグロスホワイトで統一。無印良品や北欧家具が置かれた現代の住宅に、違和感なく溶け込むデザインを追求しました。
さらにFreo Xシリーズでは、従来の「ステーション側で爆音を立ててゴミを吸い上げる方式」をあえて採用せず、本体内部のダストバッグ内で気流と気圧を用いてゴミを高密度に圧縮する技術を新開発しました。動作音は日常会話よりも遥かに静かなレベルに抑えられ、夜間に稼働させても寝室の静寂を乱すことはありません。

現在、雲鯨智能のプロダクトは世界30カ国以上で展開され、愛用世帯数は300万世帯を突破しています。
特に、靴を脱いで畳や無垢フローリングの上で暮らす日本の「素足文化」において、雲鯨がもたらしたインパクトは絶大でした。2022年後半の日本上陸以来、クラウドファンディングMakuakeでの記録的調達を皮切りに、子育て世帯やペットオーナーの間で口コミが爆発的に拡散。Amazonや家電量販店でもプレミアム水拭きロボットの代名詞としての地位を築き上げています。
6. これからの住空間とフィジカルAI(身体性AI)のゆくえ
テクノロジーがどれほど進化しても、人間の幸せの本質は変わりません。それは、清潔で整った住空間で、家族や大切なペットと心穏やかに過ごす時間にあります。
これまでの家電の歴史は、「人間の作業を機械が肩代わりする」歴史でした。しかし、洗濯板が全自動洗濯機に変わり、ほうきが電気掃除機に変わっても、人間はフィルターを掃除し、雑巾を洗い、ゴミを捨てるという「機械のメンテナンス」に追われ続けてきました。
張峻彬率いる雲鯨智能が証明したのは、工学の力によって「メンテナンスという見えない家事そのものを生活から消し去ることができる」という事実です。
| 生活のシチュエーション | 雲鯨(Narwal)導入前の日常 | 雲鯨(Narwal)導入後の日常 |
|---|---|---|
| 帰宅時の一歩目 | 足裏にざらつきを感じ、スリッパを探す | 素足でそのまま歩き、さらりとした床に安らぐ |
| 料理後のキッチン | 油跳ねを気にしてウェットシートで床拭き | 寝ている間にDirtsenseが自律判別して二度拭き |
| ペットの換毛期 | ブラシに絡んだ毛をハサミで切り刻む夜 | 絡まりゼロブラシが毛髪をダストバッグへ直行 |
| 週末の家事時間 | 半日かけて掃除機がけと水拭きに追われる | 家族や趣味に時間を使え、心の余白が生まれる |
近年、AI業界ではフィジカルな世界で自律行動する「フィジカルAI(身体性AI)(エンボディドAI)」が叫ばれています。しかし、どれほど高度なマルチモーダルモデルや二足歩行技術を誇っても、それが人間の生活の最も繊細な痛みに寄り添っていなければ、真の価値を生み出すことはできません。
松山湖の実験室で、冷たい水に手を浸しながら試作機を作り続けたあの3年間の原点。雲鯨智能の強さの根源は、アルゴリズムの複雑さではなく、「床を素足で歩いた瞬間の、あの心地よさを届けたい」という、人間の感情に対する純粋な誠実さにあります。
家庭という最もプライベートな空間において、テクノロジーが人の気配を消し、静かに生活の幸福感を底上げしていく——。雲鯨が切り拓いた製品哲学は、これからの知能化ハードウェアが目指すべきひとつの理想郷を示しています。
関連記事
- 雲鯨Narwalが挑むデュアルRGB眼と足回り掃除の製品マインドシェア:散らかったコードやペット食器の「前片付け」から人間を解放する最新旗艦「Freo Z Ultra」のツインAI回避技術を解剖。
コメント
...