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    元Nvidia重役の反乱:摩爾線程、国産GPU上場の現実

    元NVIDIA中国トップの張建中が率いる摩爾線程(Moore Threads)。米制裁を耐え抜き、グラフィックスとAIを両立する「フル機能GPU」で上海上場へ動く。半期売上17億元突破の勢いと、CUDA互換性の壁が突きつける冷徹な損益分岐点を解剖する。

    🇯🇵 日本産業対照:
    ソフトバンクG(SBG) NTT(tsuzumi) NEC Sakana AI 世界水準: OpenAIAnthropic(Claude)Google Gemini
    元Nvidia重役の反乱:摩爾線程、国産GPU上場の現実

    米商務省のエンティティリスト制裁を耐え抜き、科創板上場を果たした摩爾線程(Moore Threads)のフラッグシップAI計算カード「MTT S4000」。48GB GDDR6メモリと自社開発の第3世代MUSAアーキテクチャ「曲院」を搭載し、AI学習・推論と高度な3Dグラフィックスを単一ダイで両立させています(出所:Moore Threads公式/Radar編集部)

    1. 2023年10月17日の激震——張建中が選んだ「退路なき総力戦」

    2023年10月17日夜、北京・海淀区のハイテクパークにある摩爾線程(Moore Threads)本社ビルは、深夜まで眩い照明に照らされていました。

    ワシントンの米商務省産業安全保障局(BIS)が、対中半導体輸出規制の包括的アップデートを発表。先端AIチップの計算密度基準を大幅に厳格化すると同時に、摩爾線程および壁仞科技(Biren Technology)を含む中国の主要GPUスタートアップを「エンティティリスト(禁輸リスト)」へ追加収載したのです。

    創業からわずか3年。自社設計チップを台湾TSMCなどの最先端ファウンドリへ委託製造し、米シノプシスやケイデンスなどのEDA(電子設計自動化)ツールに依拠していた新興企業にとって、それは事業停止を宣告されたに等しい死刑宣告でした。

    翌朝、全社員に向けて緊急の社内メッセージを発信した創業者・張建中(James Zhang)の表情に、動揺の色はありませんでした。

    2020年10月
    創業

    張建中がNVIDIA中国トップを退任し摩爾線程を設立。MUSA統一アーキテクチャを提唱し、フル機能GPU開発に着手。

    2023年10月
    米商務省エンティティリスト指定

    海外受託製造・EDAツールが断絶。「単体チップの小売り」から「万基クラスタのシステム統合」へ戦略を大転換。

    2024〜2025年
    国内サプライチェーン代替・「夸娥(KUAE)」稼働

    1万基クラスタ「夸娥(KUAE)」を商用化。科創板IPO申請(調達規模約80億元)。

    2026年上半期
    商業化フェーズへ到達

    半期売上高17.36億元(約365億円)・赤字幅1,156万元へ急縮小。黒字化転換点へ到達。

    「NVIDIAで15年間、中国市場の立ち上げからデータセンタービジネスの急拡大までを指揮してきた私には、この日が来るシナリオがあらかじめ見えていました。グラフィックスもAIも、GPUの本質は単体シリコンの性能ではなく、数千、数万基を連携させるシステムエンジニアリングとソフトウェアエコシステムです。サプライチェーンの自国回帰は不可避であり、我々の戦いはここからが本番です」

    張建中の冷静な判断は、同社の事業方針を根本から再定義させました。コンシューマー向けグラフィックスカードの店頭販売という「面」の戦いを一時的に絞り込み、大容量AIモデルの学習と推論を支える超大規模智算クラスタ「夸娥(KUAE)」の商用受注獲得へ、全開発リソースを集中投下したのです。


    2. 商業戦局の三つ巴——NVIDIA「H20」とファーウェイ「昇騰」の狭間を突く

    生成AIブームの過熱に伴い、中国国内のデータセンターでは計算力(Compute)の飢餓状態が深刻化しました。この巨大な空白地帯を巡り、現在中国市場では熾烈な三つ巴の覇権争いが繰り広げられています。

    比較項目摩爾線程 (Moore Threads)米NVIDIA (中国特供 H20)ファーウェイ (Huawei 昇騰 910B/C)
    中核アーキテクチャMUSA統一アーキテクチャ(フル機能GPU)Hopperアーキテクチャ(演算性能大幅削減版)自社DaVinciアーキテクチャ(専用NPU)
    主要機能の対応領域3Dグラフィックス + AI学習・推論 + 物理演算AI計算特化(グラフィックス機能は除外)AI計算特化(レンダリング・DirectX非対応)
    ソフトウェア生態系自社MUSA + CUDA移行ツール「MUSIFY」CUDA(世界標準・極めて強固な開発者網)CANN(完全独自・国内政企向け最適化)
    単基参考実売価格約5万〜6万元(約105万〜126万円)約10万〜12万元(約210万〜252万円)約7万〜9万元(約147万〜189万円)
    主戦場・得意顧客層民間テック、大規模言語モデル(LLM)新興勢、デジタルツインアリババ、テンセント、バイトダンス(既存移行組)国有大手通信キャリア、国有銀行、地方自治体智算
    サプライチェーン耐性国内ファウンドリ・パッケージング完全移行米国政府の規制方針変更に左右される脆弱性完全国内完結(製造歩留まり改善を継続中)

    プレイヤーA(NVIDIA):高価格と制裁リスクのジレンマ

    米国の輸出規制を回避するため、NVIDIAは中国市場向けに性能を意図的に引き下げた特供チップ「H20」を投入しました。メモリ帯域(900GB/s超)を維持しつつも、FP16等の理論計算性能はフラッグシップ「H100」の5分の1以下にカットされています。

    それにもかかわらず、NVIDIAは単基あたり10万〜12万元(約210万〜250万円)という極めて強気なプレミアム価格を維持しました。大手テック企業(バイトダンス、テンセント、アリババなど)はCUDA資産を維持するために初期調達を進めましたが、計算単位あたりのコストパフォーマンス(TCO)の悪化と、さらなる米規制による「供給突然停止」の恐怖に苛まれ続けています。

    プレイヤーB(ファーウェイ):国家プロジェクトの牙城とNPUの壁

    一方のファーウェイは、独自の半導体設計と国内生産ラインを武器に「昇騰(Ascend)910B/910C」を大量投入。中国移動(China Mobile)や中国電信(China Telecom)といった通信大手、大手国有銀行、地方政府が主導するAI計算センターの入札を次々と独占しました。

    しかし、昇騰は行列演算に特化したニューラル・プロセッシング・ユニット(NPU)であり、グラフィックスAPI(DirectXやVulkan、OpenGL)との互換性を持ちません。そのため、ゲームエンジンのクラウドレンダリング、都市シミュレーション、ロボット工学の物理シミュレーションといった「AIとグラフィックスが融合する領域」では実用上の制約が生じます。また、CANNエコシステムへの移行には開発者側のコード書き換え負荷が大きく、民間スタートアップからは敬遠されるケースも見られました。

    プレイヤーC(摩爾線程):間隙を突く「フル機能」とCUDAコード資産の救済

    ここで摩爾線程が打った手が、「フル機能GPU(Full-Function GPU)」と「MUSIFYによる移行コストゼロ戦略」でした。

    顧客の既存環境

    CUDA コードベース(NVIDIA環境)

    • 移行コスト:フレームワーク・ライブラリの書き換えに数ヶ月〜数年
    • 調達コスト:NVIDIA H20 クラスタは同等構成で高価
    • 制約:グラフィックス・動画処理には別途GPUが必要
    MUSIFY 移行後

    MUSA ランタイム環境(MTT S4000クラスタ)

    • 自動変換率:CUDAコードの90%以上を自動置換(移行工数を数週間に短縮)
    • コスト削減:同等AIクラスタ構成でNVIDIA比約40%削減
    • 追加価値:グラフィックス・レンダリング・動画トランスコードも同一チップで処理可能

    自社開発の移行ツール「MUSIFY」を用いることで、エンジニアはPyTorchなどのフレームワーク上で動く既存のCUDAコードを、わずか数行の修正でMUSAアーキテクチャ向けバイナリへと自動変換できます。

    無問芯穹の異種計算インフラ革命でも詳述した通り、中国のAI開発現場では単一チップに依存せず複数メーカーのアクセラレータを併用するマルチチップ運用が常態化しています。摩爾線程はこの潮流を掴み、「NVIDIAの特供品を買う予算で、1.5倍の規模の国産クラスタを即座に構築できる」という明快な費用対効果を提示したのです。


    3. 財務諸表が語る商業化の分岐点——売上17億元と6.6億元の大口受注

    技術的な美しさがどれほど語られようと、半導体企業の生存を決定づけるのは貸借対照表と損益計算書の冷酷な数字です。

    摩爾線程の過去4年間の財務データは、研究開発主導のスタートアップから、実需を捉えたコマーシャルフェーズへの劇的な脱皮を鮮明に証明しています。

    年度 / 期間売上高(人民元)日本円換算(概算)前年同期比当期純損益
    2022年4,600万元約9.6億円—先行研究開発投資期
    2023年1億2,400万元約26.0億円+169%▲12億8,000万元
    2024年4億3,800万元約92.0億円+253%▲9億4,000万元
    2025年15億0,500万元約316.0億円+243%▲3億2,000万元
    2026年上期17億3,600万元約364.5億円+147.4%▲1,156万元(黒字目前)

    特筆すべきは、2026年上半期(1〜6月)の売上構成比率です。

    全売上高17億3,600万元のうち、クラウドAI製品および智算クラスタ関連の売上比率は97.5%を占めました。PCゲーマー向けの単体グラフィックスカード販売は全体の2.5%未満に縮小し、完全に「B2B向けエンタープライズAIインフラ企業」へと事業構造の転換を成し遂げたことが分かります。

    摩爾線程(Moore Threads)の万基級AI智算クラスタ「夸娥(KUAE)」のラックマウント構成
    1万基規模のGPUノードを高速自社ファブリック「MTLink」で相互接続する摩爾線程の「夸娥(KUAE)」智算クラスタ。数千億〜兆パラメータ規模の超大規模言語モデルの並列学習を支援し、線形加速比91%という高効率なスケーラビリティを実証しています(出所:Moore Threads公式/Radar編集部)

    この成長を決定づけたのが、2026年3月に発表された単一案件で総額6.6億元(約138億円)に達する大型智算クラスタ受注契約でした。

    発注元は中国内陸部に巨大データセンターを整備するクラウドプロバイダー連合であり、1万枚超のMTT S4000アクセラレータ、高帯域ネットワークスイッチ、クラスタ管理OS「KUAE Platform」が一括採用されました。先行導入した生成AIユニコーンのMiniMax向け即日モデル適応において、兆パラメータ級モデルの連続稼働安定性(MTBF:平均故障間隔の長さ)が実証されたことが、民間市場での受注を一気に加速させる呼び水となったのです。

    売上の急拡大に伴い、売上総利益率は40%台後半へと改善。かつて年間10億元を超えていた純損失は、2026年上半期にはわずか1,156万元(約2,400万円)にまで圧縮されました。半導体設計企業にとって最大の関門とされる「研究開発費の売上吸収」が完了し、四半期ベースでの営業黒字化が秒読みの段階に入っています。


    4. 科創板上場から香港H股へ——資本市場が織り込む「3,000億元」の期待値

    事業の急拡大と軌を一にして、摩爾線程は中国の資本市場において最大の注目銘柄となりました。

    2025年6月、上海証券取引所のハイテク新興市場「科創板(STAR Market)」への上場目論見書を正式提出。約80億元(約1,680億円)の資金調達を計画し、2025年末に証券コード「688795.SH」として正式上場を果たしました。

    上場初日、同社株は公開価格から400%を超える急騰を記録し、一時的な時価総額は3,000億元(約6.3兆円)を突破。「国産GPU第一株」の誕生に、現地メディアや機関投資家は熱狂しました。

    第1フェーズ
    上海科創板(STAR Market)上場:証券コード 688795.SH

    約80億元(約1,680億円)を調達。初日株価は400%急騰し時価総額3,000億元を突破。国内ファンド・機関投資家の支持を背景に国内基盤を確立。

    第2フェーズ
    香港証券取引所(HKEX)H株デュアル上場へ

    米ドル外貨資金の直接調達チャンネルを確保。東南アジアや中東など海外AI主権インフラ市場への輸出と先端人材確保を推進。

    しかし、経営陣の視線は国内市場だけに留まっていません。2026年8月、同社は取締役会において「香港証券取引所(HKEX)へのH株発行および上場準備の開始」を電撃発表しました。

    中国本土(A株)と香港(H株)の「デュアルプライマリー上場(両地双重上場)」を目指す背景には、周到な計算が存在します。

    第1に、半導体微細化と先端パッケージング技術の研究開発には、今後も年間数十億元規模の設備投資が継続して求められます。人民元建ての国内市場だけでなく、国際投資家がアクセスしやすい香港市場を開拓することで、米ドルを中心とする外貨資金調達のパイプを確保する狙いがあります。

    第2に、東南アジア(シンガポール、マレーシア、インドネシア)や中東(UAE、サウジアラビア)といった、米中対立の狭間で独自のAI主権インフラを希求する国々への輸出布石です。香港市場の上場企業という国際的なガバナンス基準を満たすことで、海外現地企業との合弁事業やクラウド案件の受注確度を引き上げる戦略を描いています。


    5. 日本の半導体・AIインフラ産業が直視すべき「逆境下の突破力」

    摩爾線程が辿ってきた4年間の激動は、日本企業にとっても決して対岸の火事ではありません。

    現在、日本国内ではソフトバンクグループが北海道苫小牧市や大阪府に数千億円規模を投じて大規模AIデータセンターの整備を進めているほか、さくらインターネットなどが経済産業省の助成金を受けてGPUインフラの増強を急いでいます。

    しかし、その中核を担う計算基盤は、ほぼ100%米NVIDIAの独占供給に依存しています。米国の輸出政策やNVIDIAの割当権限に自国のAIインフラの命運を完全に握られている現状は、中長期的な経済安全保障の観点から巨大な構造的リスクを内包しています。

    日本の構造的課題

    NVIDIA一極集中の脆弱性

    • 調達主権の欠如:先端AIアクセラレータをNVIDIAに全面依存、価格・納期交渉力が限定的
    • 国産GPUの規模:国内設計スタートアップの事業化規模が数億円〜十数億円に留まる
    • CUDAの壁:ソフトウェアスタックがCUDAに囲い込まれ、他社ハードへの移行が困難
    摩爾線程の突破口

    制裁下での3大ブレイクスルー

    • クラスタ全体最適:単体チップ性能ではなく万基クラスタの総合スケーリング効率(91%)で勝負
    • 移行コスト低減:独自ツール「MUSIFY」等でCUDAコードの自動変換・移行障壁を最小化
    • フル機能の汎用性:AI推論・学習だけでなくグラフィックス・物理シミュレーションを1チップで担保

    かつて日本の電機産業は、世界最高水準のDRAMや微細加工技術を誇りながらも、アーキテクチャの標準化とソフトウェアプラットフォームの覇権争いに敗れ去りました。

    米商務省による極限の制裁下で生まれた摩爾線程は、「最先端プロセスノードが使えない」という絶望的なハンディキャップを、パッケージング技術の工夫、ソフトウェア層による冗長化、そして1万基規模のクラスタ全体としての線形加速比(91%)の向上によって克服してみせました。

    「ハードウェアの限界を、システムとソフトウェアの統合力で突破する」——上場前夜から猛烈な勢いで黒字化へと疾走する摩爾線程の商業戦局は、地政学の荒波に晒される世界のハイテク産業にとって、最も生々しく、最も示唆に富んだケーススタディとなっています。

    参考資料・情報元

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    執筆・編集:中国テック番犬 編集部

    孔明合同会社(KongMing LLC)/ 先端技術リサーチチーム
    10年の取材実績

    中国決済黎明期から10年以上の取材実績を持つ金融DX実務家、元IBMのエンタープライズITアーキテクト、外資系戦略コンサルティングファーム出身のビジネスアナリスト、およびAI・先端テックスタートアップ陣によって構成される専門リサーチ集団。現地の公式発表・法定開示・登記・特許・学術論文を直接精査し、日本の産業界へ向けて構造的で偏りのない客観インサイトを発信しています。

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