1. 2021年1月15日、北京の雪夜に届いた「存亡の通告」
2021年1月15日の夕暮れ時、北京・清河にあるシャオミ本社ビルの空気は凍りついていました。
米国国防総省が、シャオミを突如として「中国軍事関連企業(CCMC)」のブラックリストに指定したという速報が飛び込んできたのです。株価は瞬時に暴落し、社内には動揺が走りました。後に法廷闘争を経てこの指定は解除されることになりますが、この夜の衝撃は創業者の雷軍(レイ・ジュン)の心に、消えることのない深い危機感を刻み込みました。
「もしスマートフォン事業が地政学的な逆風で立ち往生したら、シャオミという会社はどこへ向かうのか?」
その日の夜、雷軍が招集した非公式の緊急幹部会において、ある取締役が静かに口火を切りました。
「雷総(レイ・ゾン=雷軍のこと)、いよいよ自動車を造る時が来たのではないですか」
その瞬間、雷軍は首を横に振りました。
「冗談じゃない。自動車の難しさを本当に理解しているのか? 1モデル開発するだけで数百億円が消し飛ぶ。スマートフォンの戦いですら、私たちは毎日薄氷を踏む思いで戦っている。なぜ今、わざわざ火の海に飛び込まなければならないのか」
当時、雷軍はすでに51歳。武漢大学を卒業後、金山軟件(キングソフト)を率いて上場させ、40歳でゼロから立ち上げたシャオミは世界的な大企業へと成長していました。個人資産はすでに何代にわたっても使い切れない額に達し、エンジェル投資家としても中国テック界のメンターとして誰もが羨む名声を手に入れていました。
失敗すれば、これまでの人生で積み上げた名誉と富、そしてシャオミの屋台骨までもが一撃で吹き飛ぶ。保守的な経営者であれば、株主への配当を増やし、穏やかな引退生活を模索する時期でした。
しかし、その夜の問いかけは、雷軍の頭から離れなくなりました。
2. 75日間の極秘調査:200人との激論が崩した「常識」
2021年1月16日から、シャオミの歴史の中で最も過酷な75日間の特別プロジェクトが始動しました。
雷軍は自らプロジェクトリーダーとなり、春節の休暇返上で中国各地を飛び回りました。85回に及ぶ業界トップ企業への極秘訪問、200人を超える自動車業界の重鎮、サプライチェーンの経営者、そしてテスラやBYD、新興EV勢力の創業者たちとの膝詰めの対話。さらにシャオミ社内でも4回にわたる取締役会での激論が交わされました。
初期の認識:リスクへの躊躇
「EV参入はリスクが大きすぎる。1モデルで数百億円が消し飛ぶ火の海。スマホ事業の世界シェア拡大に専念すべきだ」
85回の業界訪問・200人との対話
テスラ工場視察、CATL対談、EV創業者との激論。車は機械から「動く巨大スマート端末」へ変貌し、スマホと車載の境界線が完全消失した現実を目撃。
第一原理による覚悟
「これは成長のための選択ではない。10年後に会社がノキアのように消滅しないための唯一の絶対的防衛戦だ」
調査の過程で、雷軍が親しい友人の一人である小鵬汽車の何小鵬(ヘ・シャオペン)や蔚来の李斌に投げかけた問いは極めて切実なものでした。「自動車を造るというのは、本当にそこまで苦しいものなのか?」。返ってきた答えは一様に、「想像を絶する地獄だが、やらない後悔はその百倍に及ぶ」というものでした。
調査が進むにつれ、雷軍の脳内にあったパズルのピースが組み変わっていきました。
これまで自動車産業は、エンジン、トランスミッション、シャシーという「機械工学」の牙城でした。しかしEVへのシフトにより、動力伝達機構の構造は劇的にシンプルになり、競争の主戦場は「バッテリー、モーター、車載OS、自動運転アルゴリズム、コネクテッドサービス」へと完全に移行していました。それは、シャオミが過去10年間、スマートフォンとIoT家電の世界で血を流しながら磨き上げてきたコアコンピタンスそのものだったのです。
「自動車が巨大なスマート端末になるのだとすれば、端末メーカーである私たちが車を造らないという選択肢はあり得ない。もし他社が完成されたスマートEVを世に送り出し、私たちのスマホユーザーを車内エコシステムごと囲い込んだら、シャオミはガラケー時代のノキアのように、気づいた時には死んでいるだろう」
雷軍は悟りました。EV参入は、単なる多角化や野心の追求ではなく、シャオミというハードウェア企業が10年後に生き残るための「絶対的防衛戦」だったのです。
3. ファブレスの誘惑を拒絶した「第一原理」
2021年3月30日の夜、雷軍は香港市場への正式な開示書類を提出した直後、発表会の壇上に立ちました。
私の人生で最後の大きな起業プロジェクトになります。これまでの人生で獲得したすべての実績と名誉を賭け、シャオミ自動車のために戦います。今後10年間で100億ドルを投資し、手元にある1,080億元の現金をすべて投入する覚悟です。
会場を埋め尽くしたファンと社員から地鳴りのような拍手が湧き起こる中、雷軍の胸中にあったのは高揚感ではなく、冷徹なまでの工学的リアリズムでした。
参入を決めた直後、雷軍の元には無数の「甘い誘惑」が押し寄せました。多くの地方政府や既存の老舗自動車メーカーが、「うちの工場をOEMとして使えばいい。工場建設の巨額投資を節約でき、ライセンス取得も代行できる」と持ちかけてきたのです。かつて蔚来が江淮汽車(JAC)に、小鵬が海馬汽車に委託して最初の量産車を世に出したように、受託生産(ファブレス)こそがテック企業の賢い参入法だと見なされていました。
しかし、雷軍はこの提案をすべて一蹴しました。
| 意思決定の比較軸 | 市場の常識(多くの新興EVの手法) | 雷軍が選んだ第一原理アプローチ |
|---|---|---|
| 生産体制 | 既存メーカーへの委託生産(ファブレス) | 北京・亦庄に自社スマート工場を完全新設 |
| 初期ラインナップ | 容積が広く開発しやすいSUV(ファミリー向け) | 空気抵抗と運動性能がシビアな本格セダン(SU7) |
| 開発投資規模 | 業界平均(300〜400人のチーム、10〜20億元) | 業界標準の十倍(3,400人以上の精鋭、100億元以上) |
| コアコンポーネント | サプライヤーのカタログ品を組み立て | ギガキャスト設備、自社モーター、OSを独自内製 |
| ポジショニング | コスト重視の大衆車(10万〜15万元クラス) | ポルシェやテスラに匹敵する「ドライバーズカー」 |
「車輪の上の魂を他人に預けて、本物の製品ができるわけがない」
雷軍のエンジニアとしての第一原理が、妥協を許しませんでした。自動車は数十万個の部品で構成され、時速100キロ以上で人間の命を乗せて走る極限のハードウェアです。自らプレスの金型を握り、塗装ラインの粉塵管理に目を光らせ、組み立ての公差をミリ単位で追い込まなければ、車づくりの本質を組織として学習することはできません。
アップルが10年と100億ドルをドブに捨てて「プロジェクト・タイタン」を断念した根本原因も、最後まで製造の泥臭い現場から距離を置き、ペーパー上の設計と委託先に依存しようとした姿勢にありました。
雷軍はその過ちを繰り返さないため、北京・亦庄(イーチュアン)の荒れ地に71万平方メートルの広大な土地を確保し、自社のスマートファクトリーを建設しました。

業界の一般的な開発費用の3倍から5倍にあたる「十倍投入(10倍のリソースを注ぎ込む)」という原則を掲げ、第1号モデルのために3,400人以上のトップエンジニアを集結させ、研究開発費だけで100億元(約2,000億円)以上を注ぎ込んだのです。
4. なぜSUV全盛期にあえて難関の「セダン」から始めたのか
シャオミ社内で最も激しい論争が巻き起こったのは、最初に出すモデルのボディタイプでした。
マーケティング部門も投資家も、口を揃えて「絶対にSUVにすべきだ」と主張しました。理想汽車(Li Auto)がファミリー向け大型SUVに特化して黒字化を達成したように、中国市場において最もボリュームが大きく、利益率が高いのはSUVです。車体が高いため床下に分厚いバッテリーを敷き詰めやすく、室内の広さをアピールすれば細かな運動性能の荒さは誤魔化しが利きます。
それに対し、低重心のセダンを作ることは、EVエンジニアにとって悪夢のような難題です。
薄い車体の中に十分なバッテリー容量を確保しながら、大人が快適に座れるヘッドクリアランスを残さなければならない。少しでも空力設計が甘ければ航続距離は激減し、サスペンションのチューニングが下手ならドライバーは路面の突き上げに悲鳴を上げます。世界中の自動車メーカーがセダンの開発で挫折し、安易なクロスオーバーSUVへ逃げ込んでいました。
しかし、雷軍はここでも常識を拒絶しました。
「セダンは自動車づくりの試金石だ。ポルシェやメルセデス・ベンツの歴史を見ればわかる。セダンを完璧に作り上げられないメーカーが、真の自動車ブランドとして世界からリスペクトされることなど絶対にない」
雷軍が目指したのは、「実用的な家電」ではなく、ハンドルを握ったドライバーが思わず笑みをこぼすような「走る歓び」を持ったクルマでした。
社内の若手デザイナーやエンジニアたちを集め、ポルシェ・タイカンとテスラ・モデル3を徹底的に研究し、空気抵抗係数(Cd値)0.195という量産車世界トップクラスのエアロダイナミクスを叩き出しました。自社製HyperOSによるシームレスなエコシステム連携を基盤にしつつも、まず車としての基本骨格、ブレーキ性能、ステアリングの応答性に徹底的なリソースを割いたのです。
「車とは、まず第一にドライバーのための道具でなければならない」。この愚直なまでのクラフトマンシップへの回帰こそが、雷軍の哲学の神髄でした。
5. 2024年3月28日、壇上で流した涙の真意
2024年3月28日。北京の発表会場は、異様な緊張感に包まれていました。
プロジェクト始動から丸3年。雷軍自身、この3年間でテスト車両に乗り込み、極寒の黒竜江省・黒河から酷暑の新疆ウイグル自治区・トルファンまで、自らハンドルを握って5万キロ以上の実走テストをこなしていました。50代の創業者自らがテストドライバーとして過酷な環境に身を投じる姿は、社内の開発陣を奮い立たせると同時に、彼自身の肉体を極限まで削り取っていました。
ステージ袖で出番を待つ間、雷軍は側近にぽつりと漏らしていました。
「もし、この車が誰の心にも響かなかったらどうしよう。価格を発表した瞬間に、観客が静まり返ったらどうしよう」
これまでのスマートフォン事業の成功体験は、自動車という未知の巨獣の前では何の保証にもなりませんでした。
壇上に上がった雷軍は、2時間以上にわたってSU7の細部を熱弁しました。そして運命の瞬間、スクリーンの背後に「21.59万元(約430万円)」というプライスが表示された瞬間、会場は割れんばかりの歓声に包まれました。
確定注文 10,000台突破
予約開始直後からアクセスが集中し、わずか4分で1万台の先行確定注文が決済完了。
確定注文 50,000台到達
一般的な新興EVの年間販売規模に匹敵する5万台の確定受注を30分足らずで達成。
初日受注 88,898台を記録
中国の自動車史を塗り替える熱狂的な支持を集め、北京・亦庄のギガファクトリーはフル稼働態勢へ。
発表会が終わり、バックステージに戻った雷軍の頬を涙が伝いました。
それは、傲慢な勝利の涙ではありませんでした。3年間、毎晩のように悪夢にうなされ、「私が判断を間違えれば、数万人の社員が路頭に迷い、シャオミの看板が地に堕ちる」という途方もない重圧を一人で背負い続けた男が、ようやく息を吸うことを許された瞬間の涙でした。
日本の本田宗一郎が1960年代、通商産業省(現・経産省)による「自動車業界再編構想」の猛烈な圧力に抗い、「自動車を作らせろ、作れないなら日本に自由はない」と啖呵を切って四輪車参入を果たした歴史的瞬間。あるいは盛田昭夫が周囲の猛反対を押し切ってウォークマンを世に送り出した時の狂気。
雷軍がSU7で見せたのは、合理的で計算され尽くした中国のサプライチェーンの強さだけではありません。
BYDが垂直統合で低価格の限界を打ち破り、小鵬がスマート運転の低価格化を進める中で、雷軍が提示したのは「すべてを手に入れた創業者が、自らの誇りと命運を賭けて未知の領域へダイブする」という、ものづくり本来の情熱と死生観でした。
テクノロジーがどれほど高度化し、資本がどれほど巨大になろうとも、産業の歴史を本当に動かすのは、深夜のオフィスで孤独な決断を下す創業者の「執念」に他ならない。シャオミSU7という1台のEVは、世界中の製造業に対して、その忘れかけていた原点を突きつけています。
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