深夜2時、グラフィックデザイナーのデスクには、青白いディスプレイの光だけが反射していた。ブラウザのタブにはMidjourneyのDiscord画面が開き、「masterpiece, 8k, photorealistic, cinematic lighting, octane render, —ar 16:9」といった呪文のような英単語が長々と打ち込まれている。ガチャを引くように生成ボタンを連打しては、指が6本ある人物画や、文字の潰れたロゴマークにため息をつく。
隣のモニターでは「ComfyUI」の画面が立ち上がり、無数のノードがスパゲッティのように絡み合っている。ControlNetで構図を固定し、LoRA(追加学習モデル)で画風を揃えようとするが、Pythonのエラーコードが吐き出されて作業は中断。Photoshopを開いて80枚以上の未整理レイヤーと格闘し、タイポグラフィを手作業で打ち直す――。
生成AIが急速に普及した2023年から2024年にかけて、世界のクリエイティブ現場で起きていたのは「効率化の歓喜」ではなく、むしろ「中途半端な自動化が生んだ作業の泥沼」だった。
その袋小路を正面から打ち破るべく名乗りを上げたのが、中国発のAIデザインプラットフォーム「LiblibAI(哩布哩布)」と、そのグローバル旗艦プロダクトとして投入された自律型デザインAIエージェント「Lovart(ラヴァート)」である。
同社を率いるのは、ショート動画編集アプリ「剪映(CapCut)」のグローバル収益化を指揮した元バイトダンスの最年少幹部・陳冕(Chen Mian)。「プロンプト入力や複雑なノード構築を競う時代は終わった」と断言する彼らが目指すのは、画像生成モデルを単なるパーツとして従属させ、人間の意図を汲み取ってポスターやブランド設計、動画までを自律的に作り上げる「バーチャルな専属デザイナー」の構築だ。
手元資金がわずか4,000元(約8万円)まで底をつく破綻の危機を乗り越え、創業からわずか3年で企業評価額20億ドル(約3,000億円)超のユニコーンへと急伸した演語科技(Evoken)。しかしその華々しい躍進の背後には、巨額の推論APIコスト、他社モデルの転売に過ぎないという「AI中間業者」批判、そして著作権のグレーゾーンという重い代償が横たわっている。
1. 呪文とスパゲッティ配線の限界:なぜ画像生成は「業務」にならなかったのか
MidjourneyやStable Diffusionの登場によって、世界は「テキストから美しい絵が出る」奇跡に酔いしれた。しかし、広告代理店やゲーム会社、ブランド企業の現場において、それらのツールは長いあいだ「本格的な業務パイプライン」に定着しなかった。
最大の障壁は、「微調整の不可能性」と「レイヤー構造の欠落」にある。クライアントから「キャッチコピーのフォントを少し太くして、右に10ピクセルずらしてほしい」「モデルの服の色だけをブランドカラーのシアンに変えてくれ」と指示された瞬間、一枚絵のビットマップを出力するだけの画像生成モデルは無力化する。プロンプトを打ち直せば構図全体が変わり、同じトーンを二度と再現できないからだ。
- 呪文依存とガチャ要素:英語の品質修飾語を大量に並べても、出力結果は偶然性に左右される
- 一枚絵ビットマップの限界:文字・被写体・背景が統合されており、部分修正やレイアウト変更が極めて困難
- エンジニア的ノード地獄:ComfyUIの配線パズルやパラメータ設定に忙殺され、デザインの思考が寸断される
- 意図を解釈する自律対話:「新商品のオーガニック茶のポスター」と伝えるだけでタスクを自動分解
- 完全なレイヤー分離構造:文字・ロゴ・イラスト・背景が独立したベクター/オブジェクトとして編集可能
- 無限キャンバス上での共創:AIエージェントが複数案を配置し、人間はディレクターとして直感的に指示・微修正
「デザインの本質は、机を挟んでプロのデザイナーと対話しながら形にしていくことだ。呪文の語彙力を競い合ったり、配線パズルを解くことではない」――陳冕は、クリエイティブの本質を見失った業界の風潮に強い危機感を抱いていた。
プロが求めるのは「お絵描きツール」ではなく、ビジネスの文脈を理解し、タイポグラフィと色彩理論を熟知し、ロゴやキャッチコピーを自在に配置できる「優秀なジュニアデザイナー」だったのだ。
2. 手元資金8万円からの逆転劇:バイトダンス最年少幹部が突いた急所
陳冕のキャリアは、中国メガテックの苛烈なプロダクト競争そのものだった。1992年に生まれ、東南大学を卒業後、テンセント、バイドゥ、滴滴(Didi)、モバイク(Mobike)を経てバイトダンスに入社。動画編集アプリ「剪映」および海外版「CapCut」のグローバル商業化を率い、28歳の若さでバイトダンスの最年少4-1職級(アリババのP9相当)へと登り詰めた。
メガテックの巨大な組織力と潤沢なトラフィックを熟知した彼が、2023年5月に北京で立ち上げたのが「LiblibAI(哩布哩布)」である。
だが、その船出は決して平坦ではなかった。当時、中国国内ではテンセント系の潤沢な資金(7,000万〜8,000万ドル)を背景にした競合プラットフォーム「吐司(Tusi.Art)」が猛烈なプロモーションを展開していた。これに対し、Liblibが調達できた天使ラウンドの資金はわずか400万ドル。サーバー代とモデル配信のトラフィック費用は容赦なく手元資金を削り取っていった。
元バイトダンスの陳冕が創業。巨額資金を擁する競合「吐司」との正面衝突で手元資金は4,000元(約8万円)まで減少。給与未払いの危機の中でCTOが離脱するも、オープンソースLoRAコミュニティの育成に一点突破を賭ける。
クリエイター重視のモデル共有エコシステムが爆発。競合の2倍以上のユーザー規模(3,000万人超)を獲得し、紅杉中国(Sequoia China)や蚂蚁集団(Ant Group)などから大型資金調達に成功。
米OpenAIが画像生成モデルを大幅に進化させると知った陳冕は「単なるコミュニティはいずれ大手基盤モデルに呑まれる」と危機感を抱く。機内で独り涙を流した直後、自律型デザインAgentへの全社シフトを決断。
デザイン名門IDEOのオフィスにて自律型デザインAIエージェント「Lovart」を公開。公開わずか5日間で世界70カ国・10万人以上のウェイトリストを獲得し、Xのトレンドを席巻。
Granite Asiaやテンセントが主導し、企業評価額は20億ドル(約3,000億円)を突破。年間経常収益(ARR)は3億ドル規模に達し、自律型デザインエージェントの代表格としての地位を確立。
「銀行口座の残高が4,000元(約8万円)になったときは、さすがに目の前が真っ暗になった」と陳冕は当時を振り返る。資金ショート寸前で技術責任者が離脱する中、彼は広告によるユーザー獲得ではなく、「クリエイターが作成したLoRAモデルを最も快適に共有・実行できるクラウド環境」を徹底的に磨き上げた。
Civitai(シビタイ)が世界で証明した「クリエイター経済の粘着性」を中国市場でローカライズし、3,000万人以上のクリエイターと10万種を超えるモデルが集まる巨大なハブを築き上げたことで、Liblibは競合を圧倒するマインドシェアを確立したのである。
3. 「机と手と対話」の再構築:Lovartが実現したマルチモーダル自律キャンバス
しかし、コミュニティの成功に安住することはなかった。2025年初頭、OpenAIやGoogleが画像・マルチモーダルのネイティブ機能を急速に進化させているという報に触れた陳冕は、「モデルをホスティングするだけのプラットフォームは、巨大テック企業が一瞬で飲み込む」と直感した。
出張中の飛行機の中で独り、迫り来る波の恐怖に涙を流した陳冕は、着陸と同時に全社的な舵切りを決断する。それが、海外向け自律型デザインAIエージェント「Lovart」の開発だった。

Lovartの最大の発明は、「ChatCanvas(チャットキャンバス)」と呼ばれる無限ワークスペースである。従来のチャット型AIがテキスト欄の中で完結していたのに対し、Lovartは画面中央に広大な2Dキャンバスを配置し、AIエージェントと人間が同じ作業机を囲んでいるかのようなUIを実現した。
ユーザーが「夏向けのクラフトビールのブランドアイデンティティと、SNS用プロモーションポスターを作ってほしい」と1文入力するだけで、Lovartの内部エージェントは自律的に以下のタスクパイプラインを実行する。
- ブランド戦略とトーンの策定:製品コンセプトからカラーパレット、ターゲット層に響く世界観を定義
- キービジュアルの生成と背景分離:Flux ProやImagen 3などの最新基盤モデルをAPI経由で呼び出し、最適なボトルデザインとシズル感ある背景を生成
- タイポグラフィとコピー配置:キャッチコピーやロゴを独立したベクターレイヤーとして配置し、フォントや字間を自動調整
- 多媒体への自動リサイズとバリエーション展開:Instagramストーリー用の縦長構図、バナー用の横長構図、店頭POP用などへ瞬時に自動最適化
| 比較項目 | Midjourney v6 | Canva Magic Studio | Figma AI | Lovart(演語科技) |
|---|---|---|---|---|
| 中核インターフェース | Discord / Webプロンプト入力 | テンプレート選択型エディタ | ベクターデザインツール統合 | 無限ChatCanvas(自律Agent) |
| タスク自律分解 | なし(一発出力のみ) | 部分的(機能呼び出し) | なし(プロトタイプ自動化) | 完全自律(戦略から多媒体展開まで) |
| レイヤーの独立性 | なし(完全フラット画像) | あり(既存テンプレート) | あり(デザインレイヤー) | あり(テキスト・被写体・ロゴの自動分離) |
| 商業アセット実用性 | 追加の切り抜き・配置が必要 | 簡易制作向き、独自性低 | プロ向けだが生成力は限定的 | 商用広告・ブランドキット直結 |
| 想定されるユーザー層 | イラストレーター・愛好家 | ノンデザイナー・大衆層 | UI/UXデザイナー | 広告代理店・クリエイティブチーム |
デザイナーは出来上がった制作物をそのままPSDやベクターデータとしてダウンロードできるだけでなく、キャンバス上で「このフォントをもっとクラシカルなセリフ体に」「ロゴの位置を左上に移動」とテキストで指示するか、手作業でドラッグして直すことができる。
AIが坐在する「バーチャルなアシスタント」となり、人間は決定権を持つ「クリエイティブディレクター」へと昇格する。この役割分担の心地よさが、海外のプロクリエイター層から圧倒的な支持を集めた。
4. 「AI中間業者」の脆さと2ヶ月間の負の粗利:急成長の裏にある3つの構造的暗面
しかし、光が強ければ影もまた濃い。シリコンバレーや中国の投資家たちが熱狂する一方で、業界のアナリストやエンジニアからは冷ややかな視線も投げかけられている。演語科技のビジネスモデルには、直視しなければならない3つの深刻な脆弱性と商業的代償が存在する。
① 「自社モデルを持たない」AI中間業者(API裁定)の脆さ
演語科技の最大の急所は、独自の巨大基盤モデル(Foundation Model)を一から開発しているわけではないという点だ。Lovartを動かしているのは、Black Forest Labsの「Flux Pro」やOpenAIの「GPT Image」、Googleの「Imagen」といった他社が開発したモデルのAPI群である。
同社の社内には、世界中のAPIプロバイダーの価格やトークンあたりの推論速度を比較し、最も安価なルートを自動的に切り替える専任チームが存在する。業界関係者が彼らを「AIの問屋」「APIアービトラージャー(裁定取引業者)」と揶揄するのはそのためだ。
もしOpenAIやGoogleが自前のインターフェースにLovartと同等の「キャンバス機能」や「レイヤー自動分離機能」を標準搭載した場合、中間レイヤーに位置するLovartのマインドシェアは一瞬で侵食されるリスクを孕んでいる。
② 凄惨な推論APIコストと「粗利率30%」の限界
自律型エージェントの最大の商業的弱点は、「1回のユーザー指示の裏で、数十回ものAPI呼び出しが発生する」ことである。タスクの要件定義、画像の粗生成、高解像度化、文字の切り抜き、ベクター化――これらの工程を経るたびに、演語科技側には米ドル建てのAPI利用料が重くのしかかる。
海外進出の初期、他社の激しいサブスクリプション値下げ攻勢に対抗するため、Lovartは丸2カ月間にわたって「負の売上総利益率(売れば売るほど赤字)」での運用を強いられた。陳冕自身もインタビューで「AIアプリケーション事業の粗利益率は、短期的には最大でも30%を超えない」と認めており、従来のソフトウェア企業(SaaS)が誇った80%超の高粗利モデルとは根本的に異なるコスト構造に喘いでいる。
③ 著作権のグレーゾーンと組織の高圧的軋轢
LiblibAIの躍進を支えたLoRAコミュニティは、既存のアニメ作品や有名イラストレーターの画風を無断で模倣・学習したモデルの温床でもあった。商業化を進める上で、知的財産権(IP)の権利侵害リスクは常にくすぶり続けている。
また、社内の急激な膨張に伴う摩擦も深刻だ。創業初期、陳冕はバイトダンスの「肩書にこだわらない文化」を引きずり、約10名の社員に安易に「共同創業者(Co-Founder)」の肩書を与えていた。会社が巨大化するにつれて権利関係や経営方針を巡る激しい内部対立が勃発し、初期の幹部が次々と離脱。技術責任者が4名も交代する事態を招いた。
「自分と同じ思考速度で動け(跟我共脳)」とチームに要求する陳冕の超中央集権的なマネジメントスタイルは、急激な成長を牽引した一方で、組織の持続可能性に小さくない影を落としている。
5. 電通・サイゲームスが直面する現実:分業制デザインから「1人制作スタジオ」への不可逆なシフト
中国メガテック出身者の猛烈なスピード感と、APIコストの綱渡りの上で成立しているLovartの挑戦は、日本のクリエイティブ産業にとっても対岸の火事ではない。
日本は、電通や博報堂といった総合広告代理店を筆頭に、サイゲームスやスクウェア・エニックスなどのゲーム大手、そして世界に誇るアニメーション制作スタジオを多数擁する「高度なデザイン分業制の総本山」である。そこでは、営業、クリエイティブディレクター、コピーライター、アートディレクター、グラフィックデザイナー、レタッチャーが階段状にバトンを渡していくことで、極めて精緻なクリエイティブを生み出してきた。
しかし、Lovartが提示した「自律型デザインエージェント」の登場は、この数十年変わらなかった制作ワークフローを根本から解体しつつある。
かつて1つの広告キャンペーンを作成するために5人のチームが2週間かけていた作業が、ディレクション能力を持つ「たった1人のクリエイター」と「自律エージェント」の対話によって、わずか半日で初校まで仕上がる時代が到来したからだ。
ここで問われるのは、「Photoshopをどれだけ器用に扱えるか」という操作スキルではない。AIが生成した無数のバリエーションの中から、ブランドの哲学を捉えた本質的な表現を選び抜く「審美眼(Taste)」と、文化的な文脈を紡ぎ出す「ストーリーテリングの力」である。
「プロンプトという呪文」が消え去り、デザインのインターフェースが自然言語による対話と無限キャンバスへと回帰した今、クリエイターが向き合うべき相手はもはやAIのアルゴリズムではない。自らの内面にあるクリエイティビティそのものなのだ。
なお、同領域における最新の産業構造と競争力学については、本誌が検証した「人間より速くバグを直せ」KimiとDeepSeekの開発戦および「閉じたAIを壊せ」DeepSeek、世界を覆す無償公開の衝撃の分析もあわせて参照されたい。
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