1. ビックカメラ有楽町店とベルリンの棚争奪——「下請け工場」への転落を拒絶した日
東京・有楽町のビックカメラ旗艦店、3階の高級生活家電フロア。
かつてこの一角は、英ダイソン(Dyson)のサイクロン掃除機と、米アイロボット(iRobot)のルンバ、そしてパナソニックや日立といった日本の老舗総合電機メーカーが長年不可侵の陣地を築いていた聖域でした。白を基調とした静謐な空間で、店員が誇らしげに語るのは「吸引力の持続性」や「日本の住環境に合わせた軽さ」でした。
しかし2024年以降、そのフロアの主役交代は誰の目にも明らかとなりました。シャンパンゴールドと深みのあるブラックで統一された大型の専用什器に、ロボットアームがミリ単位で伸縮して壁際のモップがけを実演する巨大なステーションが鎮座しています。その中央に掲げられたロゴは、中国・蘇州に本拠を置くスマートハードウェア企業「追覓科技(Dreame / ドリーミー)」です。
Dreameの創業期、同社には欧米や中東の有力家電バイヤーから「おいしい話」がいくつも舞い込んでいました。当時、毎分10万回転を超える高速ブラシレスモーターの内製化に成功していた同社に対し、海外の流通商社はこう持ちかけてきたのです。
「Dreameという中国ブランドのロゴを削り、欧州の歴史あるブランドのOEM(相手先ブランド名製造)として納入してほしい。それなら初年度から50万台の買い取りを保証する」
売上数百億円が約束された甘い誘惑でした。多くの深圳や蘇州のハードウェア工場なら、迷わずその契約書にサインしていたはずです。しかし、創業者兼CEOの兪浩(ユー・ハオ)はそのオファーを即座に突っぱねました。
白牌(ノーブランド)OEM受託
- 利益構造:粗利率10〜15%の受託製造。為替や部材高騰のしわ寄せを一手に受ける
- 価格決定権:海外発注元に握られ、1台数百ドルの安売り消耗戦に甘んじる
- 顧客接点:エンドユーザーのデータや利用実態が手に入らず、技術改善がブラックボックス化
自社ブランド×現地トップリテール制覇
- 利益構造:1,499ユーロ(約24万円)超の最高価格帯を支配し、プレミアム粗利を確保
- 価格決定権:毎分18万回転モーターと知能化アルゴリズムを武器に、ダイソンを上回る価格設定を主導
- 顧客接点:自社D2Cと日欧の主要量販店(ビックカメラ、MediaMarkt)を直結し、ブランド資産を蓄積
「自分たちのブランドを持たず、他社のラベルを貼って出荷した瞬間、我々はただの安い労働力に成り下がる。中国のエンジニアリングが世界の頂点に立つためには、最も要求水準の高い日欧の消費者に、自らの名前で認められなければならない」
兪浩が下したこの決断が、今日のDreameを形作りました。現在、同社の売上高は100億元(約2,100億円)を突破し、その実に80%以上を海外市場が占めています。ドイツのハイエンドロボット掃除機市場では40%超のシェアを獲得して独走し、日本市場でもビックカメラやコジマなど全国約180店舗の家電量販店へと展開を完了しました。
下請け工場の安売り脱出劇ではなく、最初から世界最高峰の価格帯を獲りに行った新世代中国ハードウェアの戦いは、どのようにして始まったのでしょうか。
2. 清華大「天空工場」の原体験と、毎分18万回転モーターへの執念
兪浩という起業家の原点は、北京の清華大学にあります。
2009年、精密計測機器工学科の学生だった兪浩は、学内の仲間を集めて学生テクノロジーサークル「天空工場(Sky Workshop)」を立ち上げました。中国で最も早い時期にマルチコプター(ドローン)の研究開発に着手したこのサークルは、単なる趣味の集まりではありませんでした。
課された入会試験は「12時間の限界技術ハッカソン」。徹夜で回路図を引き、物理シミュレーションを回し、極限の課題をクリアした者だけが残るエンジニアの梁山泊でした。ここで培われた「物理法則の極限まで追い詰める」という文化が、後のDreameのDNAとなります。
大学院を修了後、兪浩が着目したのは、当時英ダイソンが世界を席巻していたコードレス掃除機の心臓部——高速デジタルブラシレスモーターでした。
世界中がアプリやソフトウェアに群がっていたが、物理世界を動かすモーターの革新をやる者はいなかった。この心臓部を自ら握らなければ、一生ダイソンの影からは抜け出せない。
2015年から蘇州に籠もった初期研究チームは、わずか数人で3年間にわたる暗中模索の実験を繰り返しました。高速回転するローターは、わずか数マイクロメートルの重心のズレで凄まじい遠心破壊を起こします。空力騒音、ベアリングの熱変形、磁気回路の最適化——数百回に及ぶ試作機の爆砕を経て、2017年に同社は毎分10万回転のデジタルモーターを自社開発・量産化することに成功しました。
当時、世界でこの回転数を自社量産できたのはダイソンと数社のみでした。追覓科技(Dreame)が設立されたのはこのブレイクスルーの直後です。
清華大学「天空工場」の創設
中国初期の四旋翼・三旋翼ドローンを開発。極限のエンジニアリングを追求するハードウェア研究集団を組織。
追覓科技(Dreame)の創業とモーター内製化
蘇州にて毎分10万回転の高速ブラシレスモーター量産に成功。シャオミ(Xiaomi)エコシステムへの参画を経て独自ブランドの準備を開始。
欧州市場への本格進出と高級路線への舵切り
フランスやドイツのAmazonおよび有力流通網へ参入。ODM委託を拒否し、自社ブランド「Dreame」による高付加価値D2Cを展開。
日本法人設立と家電量販店チャンネル開拓
「Dreame Technology Japan株式会社」を設立。ビックカメラ・コジマ約180店舗での実機展示販売と100V環境への完全現地適応を断行。
毎分18万回転到達と4大コア事業への再編
19,000Paの吸引圧力を達成。200あった事業部を「スマートホーム・庭園・モビリティ・フィジカルAI」へと統合し、世界的ハードウェア企業へ進化。
同社はその後も立ち止まりませんでした。12.5万回転、15万回転と回転数を引き上げ、2025〜2026年には業界最高峰となる毎分18万回転、最大吸引力19,000Paという驚異的な領域へと到達しました。
しかし、技術のブレイクスルーと、保守的な海外市場の攻略はまったく別の戦いでした。彼らの前に立ちふさがったのは、世界で最も要求水準が厳しいとされる「日本市場」という巨大な壁でした。
3. 日本市場という「最も分厚い壁」——畳、PSE認証、量販店バイヤーの冷視
日本進出を本格化させた2022年後半から2023年にかけて、Dreameの出海チームは手痛い洗礼を浴びることになります。
当初、中国国内や東南アジアでヒットしていたモデルをそのまま日本向けEC(Amazon.co.jp)に投入した際、初期ロットの購入者から手厳しいレビューが相次ぎました。
「ステーションの作動音が大きすぎて、日本の木造アパートでは夜間に使えない」
「リビングから和室への敷居(数センチの段差)を乗り越えられず、畳の上でエラー停止してしまう」
「ACアダプターが巨大で、日本の狭いコンセント周りに収まらない」
中国の現代的なマンションは床がフラットな大理石やフローリングが多く、間取りも広いため、吸引力と清掃スピードを最優先した設計が喜ばれます。しかし、日本の住環境はまったく異なっていました。狭小住宅特有の複雑な家具配置、引き戸の敷居、デリケートな畳のい草、そして集合住宅における厳格な防音マナー——。
さらに深刻だったのは、日本の家電量販店バイヤーたちの「冷ややかな視線」でした。
日本の消費者は、高額な白物家電をオンラインの写真だけで即決することは稀です。ビックカメラやヨドバシカメラの店頭で実機を触り、店員の説明を聞き、アフターサービスの保証を確認して初めて財布を開きます。
しかし、Dreameの営業担当者が大手量販店を訪れた際、あるベテランバイヤーから返ってきたのは残酷な言葉でした。

「日本の家庭には、すでにパナソニックや日立があり、ロボットならルンバがある。中国の聞いたこともないメーカーの掃除機を、誰が10万円以上出して買うというのか。故障したら誰が修理窓口を担当するのか?」
この挫折を受け、兪浩は「クロスボーダーECの延長線上で日本を攻略することは不可能だ」と痛感しました。Dreameは即座に戦略を根本から改めました。
第一に、2023年2月に日本現地法人「Dreame Technology Japan株式会社」を設立。日本人の家電業界出身者をマネジメント層に迎え、カスタマーサポートと修理拠点を日本国内に常設しました。
第二に、電気用品安全法(PSEマーク)の厳格な適合はもちろんのこと、日本の100V電源環境に最適化した超小型・高効率AC電源モジュールを専用設計。さらに、夜間の稼働音を55dB以下に抑える「静音吸引モード」や、畳の目を傷めずに微細塵を掻き出す専用ゴムブラシ、20mmの段差を乗り越えるサスペンション機構を日本向けファームウェアに反映させたのです。
第三に、地道な店頭開拓です。まずはエントリー機「DreameBot D10 Plus」を引っ提げ、ビックカメラおよびコジマの担当者に対して実機のデモンストレーションを重ねました。ダスト容器からの自動ゴミ収集、LiDARによるミリ波級の障害物回避、そして何より競合他社を圧倒する静音性とコストパフォーマンスを証明し続けた結果、2023年6月、全国約180店舗のビックカメラ・コジマでの店頭展開という悲願を達成しました。
日本の消費者が一度Dreameの実機を店頭で目にすると、その完成度は瞬く間に口コミで広がりました。「ルンバの半額近い価格で、水拭きとモップ自動洗浄まで完璧にこなす」「アプリの日本語が極めて自然で、間取りマッピングが恐ろしく正確」といった評価が、価格比較サイトやSNSを席巻していったのです。
4. 欧州でのダイソン包囲網と、1499ユーロの価格破壊ならぬ「価格再定義」
日本市場で繊細な品質への適応を遂げる一方、欧州市場(特にドイツ、フランス、イタリア)でDreameが仕掛けたのは、真っ向からの「プレミアム覇権戦争」でした。
欧州市場における最大のライバルは、英国の誇るダイソンでした。ドイツの主要家電量販店「MediaMarkt」やフランスの「Fnac」において、ダイソンは長年フロアの一等地に君臨し、600〜900ユーロ(約10万〜15万円)のコードレス掃除機で市場の価格基準を支配していました。
多くの後発アジア系メーカーは、ダイソンの半額(200〜300ユーロ)で模倣品を並べる「ディスカウント戦略」に走りました。しかしDreameが取った手は、その真逆でした。
同社が2024年に投入したフラッグシップモデル「X40 Ultra」の値札は、「1,499ユーロ(約24万円)」。
ダイソンの主力機を遥かに上回る超強気のプライシングでした。

欧州の人件費は極めて高く、週に一度のプロのハウスクリーニングを依頼すれば月に数十万円のコストがかかります。また、ペットを飼い、靴のまま家に入る文化圏では、床の頑固な皮脂汚れや泥汚れを落とす「温水モップがけ」のニーズが切実でした。
ダイソンのコードレス機は「人間が手で持って掃除する」道具です。どれほど吸引力が高くても、掃除にかける人間の時間は1分も減りません。対するDreameは、「人間を床掃除という労働から365日完全に解放する」というライフスタイルを提案したのです。
| 比較項目 | 追覓科技(Dreame X40/Aqua) | 英ダイソン(Dyson V15/WashG1) | パナソニック(MCシリーズ) |
|---|---|---|---|
| 自社モーター回転数 | 毎分180,000 rpm(業界最高峰) | 毎分125,000〜135,000 rpm | 毎分約100,000 rpm(外部調達混在) |
| ステーション自動化 | 70℃温水洗浄・熱風乾燥・給排水全自動 | 手動給水・手動ゴミ捨て必須 | ダスト収集のみ(水拭き非対応) |
| 死角清掃アプローチ | バイオニック外拡ロボットアーム | ヘッドのLED可視化(手動誘導) | 壁際ブラシ(固定式) |
| 欧州フラッグシップ価格 | 1,499 €(約240,000円) | 799〜999 €(約13万〜16万円) | 499〜699 €(約8万〜11万円) |
| グローバル市場での主戦場 | 欧州シェア1位、日本全国量販店 | 欧米・日本のブランド認知首位 | 日本国内中心、海外撤退基調 |
Dreameが開発した「バイオニック・ロボットアーム(伸縮式モップ機構)」は、壁際や椅子の脚を検知すると、ロボット掃除機本体からモップが横に数センチせり出し、隅の汚れを拭き取ります。さらにステーションに戻れば、70℃の高温水でモップの油汚れを自動洗浄し、熱風で乾燥させて悪臭を防ぎます。
「ダイソンは掃除の時間を楽しくしたが、Dreameは掃除の時間をゼロにした」
ドイツの有力テックメディアがこう報じた通り、DreameはMediaMarktのロボット掃除機部門で8カ月連続シェア1位(シェア42%)を奪取。ダイソンをプレミアム家電の玉座から引きずり下ろしたのです。さらに庭園文化が根強い欧州に向け、境界ワイヤー埋設工事が不要な全自動LiDAR芝刈りロボット「Dreame Roboticmower A1」を投入し、欧州の戸建て富裕層におけるブランドの存在感を決定的なものにしました。
かつて「安かろう悪かろう」の代名詞だった中国製品が、欧州の高級住宅街において「ダイソンより高価で先進的なプレミアムガジェット」としてステータスシンボルになった瞬間でした。
5. 「200事業部の暴走」からの大手術――狂気と理性の境界線
しかし、Dreameの急成長は決して美しい成功物語だけではありませんでした。2024年から2025年にかけて、同社は自らの成功体験が生んだ「過剰膨張の危機」と「泥沼の特許戦争」という2つの深い落とし穴に直面しています。
第1の危機は、創業者・兪浩氏の「狂気じみた多角化の暴走」でした。 ロボット掃除機で巨額のキャッシュを手にした兪浩氏は一時、「追覓の技術をあらゆる産業に移植する」と豪語し、社内に実に200以上もの独立事業部を乱立させました。ロボットカフェ、タピオカ・茶飲料チェーン、高級EV(電気自動車)、果ては商用ジェット機の製造構想までぶち上げ、SNS上でも過激な発言を連発したことで、投資家や社内幹部から「創業者が誇大妄想に陥ったのではないか」と激しい危惧の声が上がりました。
だが、キャッシュの浪費と組織の混乱を前に、兪浩氏は2025年後半から冷徹な「自己否定と大手術」へと舵を切ります。36氪などの中国メディアが『兪浩はもう狂っていない』と報じた通り、彼は採算の見えない周辺事業を一斉に切り捨て、200あった事業部を「スマート清掃、屋外庭園、スマートモビリティ、フィジカルAI(人型・四足ロボ)」の4大コア事業へと強制統合したのです。
第2の危機は、石頭科技(Roborock)や科沃斯(Ecovacs)との血みどろの知財訴訟戦です。 ドイツや中国の法廷では、伸縮するバイオニック・ロボットアームや温水モップ洗浄の構造特許を巡り、中国メーカー同士が互いの製品の販売差し止めを求める訴訟合戦を繰り広げています。かつてダイソンという共通の敵を追いかけていた中国勢は今、欧州の店頭で1センチの棚を奪い合う最大の宿敵同士となりました。
200事業部の淘汰から残った「4大コア事業」
毎分18万回転モーター × 空間認識SLAMに直結する領域のみへ戦力を再集中
フラッグシップ清掃基盤
ロボット掃除機・水拭き機。石頭科技や科沃斯との激しい特許訴訟を戦いながら日欧の首位を死守。
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