「Alipay(支付宝)」は、当時すでに登録ユーザー数が約5億人に達していた世界最大規模のモバイル決済プラットフォームです。中国のサードパーティ決済は、単なる電子商取引(EC)の決済手段や送金ツールにとどまらず、日常生活のあらゆるシーンに浸透した「多面的なライフスタイルインフラ」として機能しています。
市場調査会社iResearchのデータによると、2014年第3四半期(7〜9月)における中国のサードパーティオンライン決済市場の取引規模は1兆8,406億元(当時のレートで約31兆円)に達し、前年同期比で64.1%増という爆発的な成長を記録しました。この巨大な市場において、Alipayは48.8%という圧倒的なシェアを獲得して首位に立っていました。Alipayが当時処理した決済額(約1,660億米ドル)は、同期間に米PayPalが処理した総決済額(約550億米ドル)を遥かに凌ぐ規模でした。
日本や欧米では、Alipayは「中国版PayPal」と形容されることがありますが、両者のビジネスモデルを掘り下げて比較すると、その本質的な戦略の違いが浮き彫りになります。
PayPalは、創業から現在に至るまで「安全かつ確実な決済処理サービス」というコア事業に特化し、信頼性の高いブランドを構築してきました。eBayとの連携を起点に成長し、欧米やアジア太平洋地域などグローバルに強固な基盤を持っています。
これに対してAlipayは、決済処理機能を出発点としつつ、急速に日常生活や高度な金融領域へとその事業ドメインを拡張していきました。Alipayが提供するモバイルウォレットアプリ「Alipayウォレット」は、金融サービス、オンラインショッピング、店舗での対面決済、娯楽、交通機関、さらには海外旅行サービスまでをシームレスに統合したスーパーアプリです。決済という点(スポット)のサービスではなく、消費者の生活体験全体をカバーする面(プラットフォーム)の展開が、PayPalとの決定的な違いと言えます。
また、劇的な普及を可能にした要因として「取引コスト(決済手数料)の低さ」が挙げられます。Alipayでは、ユーザー間での送金は原則として無料(ただし、累計2万元=約34万円を超える残高の銀行口座への引き出しなどの一部取引には0.1%の手数料が発生)です。店舗が支払う加盟店手数料(マーチャント手数料)も原則0.6%程度と非常に低水準に抑えられています。
対照的にPayPalは、ユーザー間送金や出金において所定の手数料(米国内で1取引あたり0.30ドル+2.9%など)が発生し、加盟店手数料も最大4.4%程度(国や地域による)と比較的高い設定になっています。
PayPalが手数料ビジネスに依存せざるを得ないのは、主に送金ライセンスの関係上、ユーザーのアカウント残高に対して金利を付与することが法律で制限されているためです。したがって、ユーザーがPayPal口座に資金をプールしておくインセンティブがなく、取引のたびに手数料を回収するモデルになります。
一方でAlipayは、ユーザーが口座に資金を置いておきたくなる仕組み(オンライン銀行のような機能)を作り上げました。その中核が、Alipay口座とシームレスにリンクするマネー・マーケット・ファンド(MMF)サービス「余額宝(ユエバオ / Yu’e Bao)」です。余額宝に資金を預けるだけで、当時の銀行預金を大幅に上回る年利4%〜5%の利息(分配金)を得ることができ、さらにその資金はいつでもAlipayの決済や店舗支払いに即座に利用可能でした。
この仕組みにより、ユーザーの資金が銀行口座に戻ることなくAlipayのエコシステム内に留まり続けることになります。多額の残高(預かり金)から生じる運用益や、店舗決済の圧倒的な取扱高(トランザクション)により、Alipayは決済単体の手数料を極限まで引き下げることが可能となりました。
中国のモバイル決済市場は、シェア50%以上を握るAlipayと、WeChat Pay(微信支付)を擁するテンペイ(Tenpay / シェア約40%)の2強が支配しています。ここで重要なのは、Alipayは単独のアプリではなく、巨大な「アリババ・エコシステム(阿里巴巴生態圏)」の中核を担う強力なエンジンであるという点です。
アリババは1999年のB2B取引サイトから始まり、C2Cの「淘宝(タオバオ)」、B2Cの「天猫(Tmall)」を立ち上げて中国のEC市場を独占しました。さらにそれを支える「アリババクラウド(Alibaba Cloud / 阿里雲)」、物流ネットワークの「菜鳥網絡(Cainiao)」、エンタメ事業などを構築しました。これらすべての経済圏のベースとなる金融決済システムとして、2004年に設立されたAlipayがあり、それが現在の金融持株会社「アント・グループ(Ant Group / 旧アント・フィナンシャル)」へと進化しました。
アント・グループは、前述の「余額宝」に加え、独自の個人信用評価システム「芝麻信用(セサミクレジット / Sesame Credit)」、融資を提供する「網商銀行(MYbank)」、オンラインマイクロローンなど、様々なデジタル金融サービスをAlipayの中に統合しました。これらのサービスが相互に連携し、莫大なユーザーベースをさらに活性化させる強固なビジネスモデルを形成しています。
PayPalが決済処理に特化してグローバルで事業を最適化したのに対し、Alipayは中国特有の急成長市場とアリババ経済圏を背景に、決済をフックにして消費者の「日常と金融」を支配するスーパープラットフォームを創り出しました。その顧客ニーズを先読みする圧倒的なスピードと実行力は、既存の個人向け・法人向け銀行業務のあり方を揺るがし、フィンテック革命の世界的先行事例となっています。
情報源:Karpon
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