モバイルファーストな中国を象徴するスーパーアプリ「WeChat」
中国では、欧米や日本といった先進国と比較して、モバイル端末を経由した商取引(モバイルコマース)が驚異的なスピードで進化を遂げています。その中心にあるのが、当時すでに6億人以上のアクティブユーザーを獲得していたテンセントのメッセージアプリ「WeChat(微信)」です。
Facebook(当時14億人)、Twitter(当時3億2,000万人)、LINE(当時1億8,000万人)といった世界の主要SNSやメッセージアプリと比べてもユーザー規模は巨大ですが、WeChatの本質は単なるコミュニケーションツールにとどまりません。あらゆる日常生活の決済やサービスが1つに統合された、まさに「スーパーアプリ」のエコシステムそのものです。
日常生活のすべてがアプリ内で完結するシームレスな体験
中国の都市部では、以下のような光景が日常となっていました。
中華料理店で食事をしたグループが、割り勘の支払いをその場で行います。やり方は非常にシンプルで、グループチャット内で個別にQRコードを送り合うか、割り勘機能を起動して携帯を数回タップするだけ。支払額は即座に連携した銀行口座やモバイルウォレットから引き落とされます。
食事の後は、同じアプリ内で映画の前売り券を購入し、帰宅するためのタクシー(配車サービス)を手配する。これら一連の行動が、アプリの切り替えを一切行うことなく完結します。
さらに、NIKE(ナイキ)でカスタムシューズを注文したり、近くのスターバックスで事前にコーヒーをオーダーしたり、Burberry(バーバリー)の最新コレクション情報を確認することも可能です。歩数計機能で毎日の歩数を記録し、家族旅行の航空券やホテルを予約し、ビジネスのビデオ会議に参加し、ニュースをチェックする。これらすべての体験が、WeChatという単一のインフラ上で統合されています。
「ゼロからインフラを構築する」リープフロッグ現象
中国生まれのマーケティング専門家であるイーチー・チャン氏は、「中国で生活・ビジネスをするなら、WeChatは避けて通れない絶対的なライフラインだ」と語ります。
彼によれば、米国や日本の企業がモバイルブラウザや個別の専用アプリ、Webサイトをまたいで構築しようと苦心しているユーザー体験を、WeChatはすでに単一のシステム内で高い次元で実現しているといいます。
コンサルティング企業ボモダのCEOであるブライアン・バックウォルド氏は、この状況を次のように解説しています。 「例えば、全く新しい都市をゼロから建設するとしましょう。既存の古い水道管や道路インフラに縛られることなく、最初から最新 of テクノロジーを導入した方がはるかに効率的です。中国がモバイル決済やモバイルコマースにおいて欧米を追い抜いたのは、まさにこの『リープフロッグ(カエル跳び)』現象によるものです。PCの時代を飛び越え、最初からモバイルアプリですべてを完結させる時代を作ったのです。」
中国の消費行動は、米国とは対照的です。欧米では「モバイルで商品を検索し、購入はセキュリティの安心なPCで行う」という行動パターンが一般的でしたが、中国では「PCで情報収集をし、実際の購入や決済は利便性の高いモバイルで行う」という流れが定着しました。
アリババとテンセント、二大巨頭の決済プラットフォーム戦争
クレジットカードの普及率が低かった中国において、モバイルコマースを牽引したのが2大オンライン決済サービスです。EC王者アリババグループの「Alipay(支付宝)」と、テンセントがWeChat内で提供する「WeChat Wallet(微信銭包 / 現・WeChat Pay)」です。
「両者の激しいシェア争いが、極めてシンプルかつ高度に統合されたオンライン決済システムを生み出しました」とバックウォルド氏は指摘します。「アリババの強みは世界最大のマーケットプレイスですが、その基盤はPCファーストの時代に設計されました。一方で、テンセントのWeChatは最初からモバイルファーストの精神で設計されています。」
WeChatはモバイル決済を簡素化するため、QRコードによる決済プロセスを徹底的に磨き上げました。これにより、イタリアの高級ECサイト「YOOX(ユークス)」や東南アジアのファッションEC「ZALORA(ザロラ)」などのグローバルEC企業も、WeChat内に公式ミニストアを構えるだけで、数タップで決済まで完了するユーザー体験を提供できるようになりました。
「決済プロセスはわずか30秒で、信じられないほどシームレスです。ブラウザを立ち上げてクレジットカード情報を手入力したり、別の決済サービスにリダイレクトされたりする欧米の体験とは天と地ほどの差があります」とチャン氏は語ります。
実際、中国のモバイルコマース市場の規模は、当時の米国市場の約4.5倍(450%)に達していました。調査会社eMarketerの予測によると、中国のEC取引におけるモバイル経由の割合は2019年には71.5%に達すると見込まれていました。一方、米国では2019年時点でもモバイル経由の割合は28%程度に留まると予測されており、日米欧の決済体験がいかに遅れていたかが浮き彫りになります。
グローバルブランドが群がるデータの宝庫
WeChatは2012年に法人向け公式アカウントを開放しました。最初に名乗りを上げたのはマクドナルド中国法人です。彼らはクーポン配布やアプリ内ゲームの提供から開始し、2015年には限定おもちゃの販売にWeChat決済を導入しました。
マクドナルドの広報担当であるレジーナ・ホイ氏によれば、WeChatストアを通じてフードデリバリーの注文受付や店舗検索を提供することで、当時すでに630万人以上のファン(会員)を獲得していたといいます。 「単なる情報配信だけでなく、パーソナライズされた顧客管理(CRM)ツールとして活用しています。決済システムとシームレスに繋がることで、顧客属性や購買行動の深い理解が可能になります。」
ナイキやバーバリー、スターバックス、コカ・コーラといったグローバルブランドがWeChatにこぞって参入しているのも、この膨大なユーザー行動データが「情報の鉱山」であるためです。
中国のインターネットユーザーの87.4%がスマートフォン経由で日常的にアクセスしているというデータもあります(米国は74.6%)。
| 中国と米国のインターネット利用におけるモバイル比率の比較 |
|---|
| 中国: 87.4% (スマートフォンが主たるアクセス手段) |
| 米国: 74.6% (PCとの併用が中心) |
次なるフロンティア、東南アジアの可能性と課題
中国市場が成熟に向かう中、アジアにおける次の成長の舞台として「東南アジア」が注目を集めています。ECソリューションを提供するaCommerceのCMO、シェジ・ホー氏、東南アジアは中国を凌駕するほどのポテンシャルを秘めたモバイルファースト市場だと指摘します。
マレーシア発のファッションEC「ZALORA」などがシェアを拡大していますが、ユーザー体験(UX)の設計においては、中国の洗練されたアプリ群と比較すると依然として改善の余地が大きいとホー氏は見ています。
進化を止めない中国の決済インフラ
中国のテクノロジー企業はさらにその先を見据えています。アリババのAlipayでは、生体認証を組み合わせた次世代のチェックアウト技術(店舗内カメラでの顔認証やデバイスフリーの生体スキャン決済など)の試験導入を開始しています。
ボモダのバックウォルド氏はこう語り、記事を締めくくっています。 「私の17歳の娘は、毎日スマートフォンを手放しません。しかし、欧米や日本にいる彼女は、中国の若者がすでに日常のインフラとして当たり前に使いこなしている『財布不要のシームレスなモバイル決済ライフ』の利便性をまだ知りません。このイノベーションの差こそが、中国モバイルコマース帝国の真の強みなのです。」
- 情報源: DIGIDAY
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